きれいごとの洪水
この数年ほど、子ども向けのTVや絵本のおかげで日々たくさんの「きれいごと」に触れています。心が洗われるようです。
「半分こって嬉しいね」
「あいさつすると気持ちがいいね」
「ぎゅーってすると大好きが伝わるね」
綺麗すぎて涙が出てくるようなきれいごとの洪水です。
いいことをすればいいことが起こる、悪いことをしたらごめんねって言う、新しいことをするのは楽しいことだ。
ここでは「本当に半分こって嬉しいですか?」「あいさつするのが常に善とは限らない」「いいことをしたからっていいことが起こるわけじゃない」みたいな反例・例外をあえて指摘する必要はなく、人間界の原則をシンプルな言葉でわかりやすく子どもに教えてくれています。
きれいごとに守られて育っていく
私も小さい頃にこういう情報に守られて教えられて成長したんだろうな(覚えていないけど)、と思いながら見ています。
たぶん小さい頃に素直に受け取っていた「きれいごと」を、思春期頃に「きれいごとばかり言ってもしょうがない」と批判的に見るようになって、そして大人になったことで(子育てをし始めたことで?)もう一度「きれいごと」の価値を再認識している感じです。
きれいごとって、大事ですよね。
面白くするためのからかいも、自分を賢く見せるための冷笑も、ほとんど存在しない世界に、子どものおかげでぬくぬくと浸っています。心が洗われるようです。
そして、堂々と子どもにきれいごとを言える親でありたいと思っています。
きれいごとの定義
基本的には「きれいごと」というのはネガティブな意味です。
現実を無視して、表面だけを取り繕うこと。体裁を繕うこと。また、体裁ばかりで現実味のない事柄。
きれいごとが現実だったら良い
大人になると、きれいごとばかり言ってはいられないとは思います。
私が「きれいごと」と言われてパッと思いつくのは、「職業に貴賎なし」「努力は裏切らない」「障害は個性」「命は平等」とかですね。いずれも、理想ではあるけれども「現実を無視している」「現実味のない事柄」と言われればそうだろうと思います。
でも、これがぜんぶ現実だったら良いな、とも思います。
とりとめもないブログを書いてしまいました。
私が好きだなあと思っている詩の一部分を引用して終わります。
無題
(中略)
わたしをきらいなひとが
しあわせであるといい
きれいごとのはんぶんくらいが
そっくりそのまま
しんじつであるといい
(引用:笹井宏之『えーえんとくちから』)
笹井宏之さんは、ほとんど寝たきりの生活を送って26歳で夭逝された詩人です。
こんな短歌も詠まれてます。
きれいごとばかりの道へたどりつく私でいいと思ってしまう
(引用:笹井宏之『えーえんとくちから』)
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