おたまの日記

都内で働く二児の母(東大法学部卒)が、子育てしながら考えたことや読んだ本、お勧めしたいことを書いてます。

私が「詩」に苦手意識があるのは国語の授業での出合い方が悪かったからなのかもしれない

まずは、何も考えずに谷川俊太郎の『生きる』を読んでください。じっくりでもさらっとでも、お任せします。(全文引用するのは著作権侵害になりかねないので一部引用にとどめます)

 

生きる   谷川俊太郎


生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっとあるメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

(中略)

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬がほえるということ
いま地球が回っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

(中略)
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

 

1971年 詩集『うつむく青年

(引用:『今を生きるための現代詩』p20~23)

 

私は朝の通勤電車でこれを読み始めて、「ああ、昔、国語の教科書で読んだ詩だな」と気づきました。

そして、読み進めるうちに、目頭が熱くなるのを感じました。電車内にいなかったら泣いていたかもしれません。教科書で読んだ頃にはなんとも思わなかったはずの詩の、なにに私はこんなに心を揺さぶられているんだろう…?

 

この詩『生きる』は新書『今を生きるための現代詩』の第1章に掲載されていたものです。

この新書のp23~の文章を読んだら上記の疑問が見事に解消しました。

この詩はいったいなんなのか

・この詩は読む人に「生の実感」を想起させるタイプの詩である

・しかし、この詩に出てくる「ヨハン=シュトラウス」や「ピカソ」のような人物名は「おとなの一般常識」である(たとえ詳しくは知らなくとも、彼らが人類にとって魅力的な存在であるというぼんやりとした認識があればよい)

・子どもにはその一般常識はまだない

・さらに、大人ならば誰でも思い浮かべられる「産声があがる」ことや「兵士が傷つく」ことの映像的イメージ、人類共通の感情的リアリティを、13歳の子どもは共有していない

「生きる」は…(中略)…「わかりやすい」詩だと思えてしまう。

しかしそれは、生まれたての赤ん坊があげる産声を、その脂まみれの赤い身体や、不器用にもがくほそい手足や、なぜかはわからないが確実に人を微笑させるそのいたいけな存在感などの、こころにしみるような実感とともに想起できる人が読むということが前提になってはじめて成立する「わかりやすさ」である。

(『今を生きるための現代詩』p28より) 

 

私が感じたこと

そうか、谷川俊太郎の『生きる』は、大人向けの詩だったんだ…。

10代の私が感動できなかった詩を、31歳の私が久しぶりに読んでこんなにも感動できるなどとは想像もしていませんでした。

この詩を読んだ私の頭の中には、0歳次男のくしゃみの音や2歳長男の地団駄を踏んで怒る様子、子どもたちの汗ばんだ手の感触、夫の少しかさついた手の感触、そして女友達とドナウ川のほとりで「美しく青きドナウ」を熱唱した若気の至りの思い出などが走馬灯のように浮かびました。

(私はヨハン=シュトラウスは「美しく青きドナウ」しか思い浮かびませんし、ピカソは「ゲルニカ」しか思い浮かびません)

 

「生きる」は、産声や傷つく兵士や、ヨハン=シュトラウスやピカソの「存在感」を、読む人のなかに要求するタイプの詩だ。

 (同p29)

 

これは「実感の再現」タイプの詩であるのに、10代の私は再現すべき「生の実感」をもたなかったのだ。

そして31歳の私が再現した「生の実感」は、きっと10年後にはまた変わってくるのだろう。

 

今読んでも感動しない詩を、「わからない」ままに保っておくことで、いつか新たな発見があるかもしれないと思うと、未来がとても楽しみになりました。

 

この本を読もうと思った理由

さて、私がこの新書を読もうと思ったのは差し迫った必要性が生じたからです。

知人が詩集を出版し、気軽な気持ちで「読みたいです」と言ったら立派な詩集を頂戴してしまい、そして読んでみたら「おお…なんか、すごい」という感想を抱きました。

しかしさすがに恵贈頂いた本への感想が「いやあ、よくわからなかったんですが、なんかすごいと思いました!」では小学生の読書感想文以下ではないかと焦りまして、なんでも良いから私に「正しい詩の読み方・読み解き方」を指南してくれる本を探しました。

そして出会ったのがこの『今を生きるための現代詩』でした。

 

正しい詩の読み方は、ない

この本を読み終えた今、「正しい詩の読み方」などというものは無いのだな、と理解しました。

・なにかを伝えるためではなく、ただことばの美を実現したくて書かれた詩は多い(p58)

・あらすじを言うことができない詩(p67)、解釈することが不可能な詩(p68)、音読できない詩(p91)もある

・わからない詩については、「わからない」ことをうけとめて肯定すれば良い。作者の感情や意見がかならず詩の中に隠されているわけではない。詩に「正解」を探してしまうと、「正解に到達できないのは自分の読解力が無いからだ」「こんなわかりにくい書き方をした詩人が悪い」となりがち(p87)

・英語の詩ではroseはroseだが、日本語の詩では薔薇、バラ、ばら、3種類の表記がありうる。日本の詩人には「何種類ものなかから表記する文字を選び取る」特権的な悩み/落とし穴がある(p91)

・詩の中には、抽象画のようなものもある。抽象画を見て何が描かれているのか分からないと怒る人はいないが、同じタイプの詩は理不尽な怒りを向けられることがある(p116)

 

詩を読むことは、効率の追求の対極にある行為だろう。(中略)

かんたんにはわからない詩をいつまでも読みつづけることは、効率主義にうちひしがれ、すっかり消耗した精神の特効薬になるかもしれない。

(『今を生きるための現代詩』p71) 

 

あぁ、読んですぐに理解できなくても良いんだ。仕事や育児や家事や人間関係やビジネス書に少し疲れたときに、なんとなく詩集を読んでみるというのは良い心の気分転換になるのかもしれないな、と思いました。

たしかに、今回の知人の詩集を読んでいる間、普段はまったく使わない脳の使い方をしたなと感じています。

 

オススメです

・国語の授業で詩を読んで以来、詩を読んでいない

・なんとなく詩に苦手意識があるけど、詩を読んでみたいと思った

という方には『今を生きるための現代詩』とてもオススメです。

私は31歳になるまで詩の面白さに気づきませんでしたが、この本のおかげで詩というものと和解したような気がしています。この先の人生70年、詩を読む楽しさとともに生きていけるような気がします。

 

さらに、

・まだ教科書に載っていない最新の現代詩人による現代詩を読んでみたい

・今回おたまが読んだという「知人の詩集」そのものに興味がある

という方は、こちらご覧下さい。

 

著者の紺野とも氏いわく、

「特別なことをした人は歴史に名を残すけど、普通に生きている女の子の日常は残らない。それを私が書きとめておきたい」とのこと。

f:id:shiratamaotama:20191106230454j:plain 

この詩集は一見可愛い感じですが、言葉の配置にすごく工夫がされていたり、「こんまりメソッド」や「Chatwork」や「プロテイン危機」が登場したりするので、非常に現代的でなかなか面白いと思います。

 

 

そういえば、私の敬愛するヴィクトル・ユゴーも詩人でした。

www.shiratamaotama.com