自分が「子どもが欲しい」と思った理由について改めて考えました。
きっかけはこの本を読んだことです。川上未映子さんの『夏物語』。
子どもが欲しいというとき、人は何を欲しがっていることになるのだろう。
(中略)
「好きな人の子どもが欲しい」はよくある説明だけれど、では「相手の子どもがほしい」と「私の子どもが欲しい」のこのふたつに、いったいどんな違いがあるだろう。だいたい、子どもをもつ人がみんな、あらかじめ子どもをもつということについてわたし以上の何かを知っているのだろうか。
(引用:川上未映子『夏物語』p258-259)
この小説を読んでいて、上記の強烈な文章に出会ってしまい、ページをめくる手を止めてしばらく考えました。
私は何が欲しくて「子どもが欲しい」と強く思っていたのだろう。
そして、その「何か」はもう手に入ったのだろうか。
妊娠して無事に出産したことで、「欲しかったもの」の一部は既に手に入れたような気がするな、と思いました。
この小説には、子どもを持つことについて主人公が考えたり会話したりする中で、とても胸に刺さってくる文章が散りばめられています。
>「自分にとって最高の存在で、それで最大の弱点。それが日に日に自分の外で大きくなって、事故とか病気で死ぬかもしれないことをいっしゅんでも考えると息もできないくらいに怖い。子どもって恐ろしい存在だよね」p460
— おたま@男子二児の母 (@otamashiratama) November 22, 2021
この「怖い」「恐ろしい」、私の感覚とすごく近いなあ。
本を読み終えてから、こんなイメージ図を作ってみました。私が妊娠前に「子どもが欲しい」と思っていた時の気持ちを図にすると、たぶんこんな感じになります。
右側の要素のいくつかを、少し説明してみます。
私が「子どもが欲しい」と思った理由
理由1:みんながしてるから
もしかしてこれが最大の理由だったのではないかと思います。ここでいう「みんな」は主に自分の親戚を指します。私の両親はともに東北の田舎出身で、つきあいのある年上の親戚女性はほぼ全員が「子持ち」です。(若くして病を得たため実子をもたない叔母もいますが、かなり例外的)
同様に夫側の親族をみてみると、やはり親しい年上の親戚女性は全員が子持ちです。
「親しい親戚女性のほぼ全員が母親である」ということから、「私もいつかは母親になるのだ」と何の疑問もなく思っていたと思います。人類のベルトコンベアに乗っている気分です。
理由2:母親になってみたかったから
一度きりの人生だから、妊娠・出産・育児というものを一度は経験してみたい、という感覚です。イメージとしては、少女漫画のハッピーエンドの最終章にしばしば描かれる「ヒロインの10年後」です。漫画の主人公は大好きな男の子といつか結婚して、そっくりな顔の子どもに囲まれている…という漠然としたイメージ。
自分の人生もいつかこの段階にはいるのだろう、はいりたい、と若い頃から思っていたと思います。
理由3:夫にお父さんになってほしかったから
夫が子ども好きで、親戚の子どもたちと遊んでいる姿を見たりすると、「この人を父親にしてあげたい」という気持ちになりました。根源的には「夫を幸せにしたい」ということだったと思います。結婚式の誓いの言葉みたいで恥ずかしいからこれ以上は書きません。
理由4:子育てをしてみたかったから
これは小学生の頃に「犬を飼いたい」と思った気持ちに似ていたと思います。自分よりも小さくて弱い生き物を可愛がって一緒に生活したい、私ならきっと幸せにしてあげられるぞ、という気持ちです。
ひとたび犬を飼ったら毎日朝晩の散歩が必要だし糞を拾ったり予防接種に連れて行ったりと面倒もあるはずですが、そうした面倒を上回る「犬を飼ったらきっと楽しいに違いない」という確信がありました。
理由5:自分と夫の遺伝子を残したかったから
理由4はおそらく養子を育てることによっても満たされたと思いますが、「できれば自分と夫の遺伝子を引き継ぐ子どもをもちたい」と思っていたと記憶しています。
自分と夫の両方の特徴を受け継いだ子どもはどんな顔でどんな性格になるんだろうという好奇心もありました。
理由6:親に孫を見せてあげたかったから
私が結婚した時、夫の両親には既に孫がいて、孫を可愛がってとても幸せそうでした。一方で私には兄弟は(当時はまだ独身の)弟しかいないので、私が子どもを産まない限り、私の両親に孫はできません。
私の両親が私たち夫婦に対していわゆる「孫プレッシャー」をかけることはありませんでしたが、私の中には「子どもができたら、親が喜ぶだろうな」という気持ちは間違いなくあったと思います。
理由7:「生きる意味」が欲しかったから
私が就活中に色々考えすぎて迷走し、父に「人は何のために生きるのかしら」と聞いたことがありました。
父は少し考えてから、「そうだなあ…。お父さんはね、(私の名前)が産まれたときに、ああ俺はこのために生きてきたんだって思ったな」と答えました。
私が期待した答えは仕事でのやりがいだったので、これはかなり期待外れの答えだったのですが、ちょっと感動しました。父の人生で成し遂げた様々な功績(私から見て、とても人のため/日本のためになっていると思っていました)すべてを上回る「生きる意味」が娘(=私)の存在なのか、私ってなんてすごいんだろうと思いました。
父の答えは就活の役には全くたたなかったのですが、私もいつか親になってみたい、父のように「生きてきた意味」「生きる意味」を実感してみたいと思わされる言葉でした。
※しかし実際のところ、私自身は第一子を出産した直後には「ああ私はこのために生きてきたんだ」とは思いませんでした。出産がやっと終わった安堵感や疲労、ここから始まる育児への緊張などの気持ちの方が大きかったと思います。
なんとなく思っていること:少子化対策
少子化対策の文脈で、「どうすれば若い人が子どもを(複数)持ってくれるだろう」という議論を耳にします。
今回私が上述の小説を読んだり、「子どもが欲しいと思った理由」についてTwitterで発信してその反応を見たりする中で、「子どもが欲しい理由」「子どもが欲しくない理由」には本当に様々なものがあり、個人差が大きいんだということを実感しています。
「子どもが欲しい」(=私のイメージ図の右側、青字の要素)気持ちがたくさんあっても、天秤の左側の要素に「子育てが不安(経済的に)」が大きくのしかかる場合には、その人は子どもを持つことを諦めるかもしれません。経済的な子育て不安の解消は政府が取り組める要素だと思います。
「出産が怖い」の要素は、もしかすると無痛分娩へのアクセス改善によって軽減することができるかもしれません。
なんらかの事情で妊娠出産が叶わない人でも、「子どもを育ててみたい」気持ちが大きければ、養子縁組のような制度を使うこともあり得ると思います。
子どもが欲しいかどうか、子どもを持つかどうかは個人や夫婦の選択であって、誰に強制されるものでもありません。
ただ、「子どもが欲しい」と思う人が、社会的・経済的な不安なく子どもを持てる社会であって欲しいなと思っています。
精子提供・精子バンクのニーズとリスク
小説『夏物語』には精子提供・精子バンクが重要なキーワードとして登場します。
実は私がこの小説を読もうと思ったきっかけは、NHKで精子提供・精子バンクについての特集を観たことです(『夏物語』著者の川上未映子さんがゲストとして登壇されてます)。
精子提供・精子バンクのニーズとリスクについて分かりやすく整理されているので、関心ある方はNHKサイトへどうぞ。
出産は親のエゴ
この番組の中で、川上さんが「出産というのはほぼ親のエゴだと思う」と発言されていました。
私はこの言葉にちょっとギョッとしたのですが、「出産は親のエゴ」という言葉がずっと忘れられなくて、そして今回改めて自分が「子どもが欲しい」と思った理由を細分化してみました。ああ、私が「子どもが欲しい」と思った気持ちは、確かに私のエゴでしかないな、と思いました。私が幸せになりたいから、私が欲しいから、子どもをもとうと思ったんだ。
そしてこの世に産み出したからには、この子たちが幸せな大人になれるように、できることをしていこうと思っています。
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