子連れベビーカー入店を断られて「キツかった」という方の話
Twitterで以前からフォローさせてもらっているとかげさんが、6ヶ月の赤ちゃんをベビーカーに乗せてレストランに行ったら冷たく門前払いされてキツかったという話をされていました。その後7年経ってもそのお店には足が向かないそうです。
レストランで子連れ入店を冷たく断られて、その後大人だけでもその店には行かなくなる話、なるほどな~と思って読んでいたのですが、ツイ主さんに攻撃的なリプライをする人が結構いたので驚きました。 https://t.co/pWOVsUCm86
— おたま@男子二児の母 (@otamashiratama) July 26, 2020
※とかげさんはもうアカウントを削除されているので、もとのTweetを見ることはできません
私自身はレストランで子連れであることを理由に冷たい対応をされたことがまだないので、とかげさんのTweetをみて「なるほど、確かにそういう経験を一度でもしてしまったら、その後も行きたくなくなってしまうだろうな」と想像しながら読んでいました。
ところが、このTweetに対して、「しつけのできない親は文句ばかり言う」「子連れは迷惑をかけるから入店を断られても仕方ない」「子連れ様はクレーマーになるから断るのが正解」などの趣旨で攻撃的なリプライ・コメントをつける人が結構いたのです。
(※ツイ主のとかげさんは決して「子連れを断るな」と主張しているわけではなく、断り方が冷たかったりすると、その後も大人だけでも行きたくなくなるという話をされています)
私は乳幼児連れを「弱者」だと思っていました
私は、とかげさんの話の趣旨は、弱っている時に優しくしてくれた人には一生恩を感じるし、弱っている時に冷たかった人にはその後も距離をとってしまう…ということだと理解しています。
その前提として、私は乳幼児連れを「弱者」だと思っていました。乳幼児自身は当然弱者だし、乳幼児連れは大なり小なり周囲に迷惑をかけてしまうので。
特にベビーカーを押して移動するようになると、駅の階段などで自分が「健康な成人=強者」だった頃には気づかなかった不便を感じるようになったりして、「ああきっと私が気づかなかっただけで車椅子の人はこの不便をずっと感じながら生活しているんだろうな…」と思ったりしました。
私も妊娠出産で「弱者」の立場になったので、外食でも買い物でも周囲にずっと気を遣いながら行動しているし、産前と同じようには行動できないということはもちろん理解しています。
子どもは泣くこともあるし急に大声を出すこともあるし、トイレに行くまでウンチを我慢することはできないのでレストランの席でウンチしてしまうこともあるし(当然オムツはしていますが、臭いはします)、とにかく周囲に申し訳ない状況はたくさん発生し得ます。子連れお断りの店があること自体は当然だと思います。
子どもを産んで以来、人に謝る機会が激増した話は以前のブログでも書いていました。
子どもが外で泣いたり吐いたりコップを落として割ったり人にぶつかったり電車で隣に座ったおじさんの服を突然引っ張ったり、自分なりに一生懸命子育てしていても「あああごめんなさい…!」「申し訳ありません!」「すいません…」と言う機会の多いこと。「子どもがいない働く妻」時代に比べて、子どもができて以降、こうした理由で人に謝る機会は激増しました。ストレスフル。これでも周囲に気を遣って子どもから目を離さずにいるんですが、子どもというのは人に迷惑をかけずには育てられないんだなぁ…と実感しています。
そして弱者である自分に親切にしてくれたお店のことはすごく好きになるんですよね。逆もまたしかり。
子連れを「強者」と思っている人もいる
今回、ツイ主さんに攻撃的なリプをしている人は、
①子連れを弱者だと思っていて、「弱者なんだから健常者と同等の扱い・権利を要求するのはおかしい」と言う人
②子連れを強者だと思っていて、「強者が傍若無人にふるまっている」と怒っている人
に大きく分けられるのかなと思いました。
特に②の方は、現代日本で結婚出産できる人は恵まれた人だ、格差社会の上の方にいる人だ、という前提があるようです。
私は①のような人の存在は今までもなんとなく想定して行動していましたが、②のような人も結構いるんだな、と今回とても勉強になりました。
そもそも弱者とは?
私自身は妊娠出産によって自分が「弱くなった」(他者からの攻撃をより恐れるようになった、不自由が増えた、人に迷惑をかけずに生きられなくなった)と当然のように思っていたのですが、今回のTweetをきっかけに「そもそも弱者とはなんだろう?」と考えました。
試しに「弱者 定義」で検索したところ、Wikipediaには下記のようにありました。
社会的弱者(しゃかいてき じゃくしゃ、英: socially vulnerable)とは、一社会集団の成員でありながら、大多数の他者との比較において、著しく不利な、あるいは不利益な境遇に立たされる者(個人あるいは集団)のことである。
(Wikipedia「社会的弱者」より引用)
子連れは少数派である
社会的弱者という場合、社会の少数派であることが前提のようです。
例えば日本には6歳未満の子どもがいる世帯は約8.7%しかいません。18歳未満の子どもがいる世帯に広げても、たった21.5%です。
※平成27年国勢調査人口等基本集計によると、
・全国の一般世帯数:53,331,797
・うち6歳未満世帯員のいる一般世帯数:4,617,373(8.7%)
・うち18歳未満世帯員のいる一般世帯数:11,471,850(21.5%)
よって、子育て世帯は「少数派」と呼んで差し支えないかと思います。
子連れは不利なのか
そして大多数の他者との比較において、著しく不利な境遇に立たされているのか…という観点では、状況によるのかな、と思います。
例えば目が悪い人はそのままだと歩くのも不自由だし様々な面で不利な境遇に立つだろうと思いますが、メガネやコンタクトレンズを装着することによって「著しく不利な境遇」に陥らずに済みますよね。
子連れであっても、あらゆる場所にエレベーターが設置されていたり、階段前で困っていたら助けてくれる人がたくさんいたりすれば、あまり「不利」を感じずに生活することは可能です。(それでも急にオムツを替える場所を探さないといけなくなったり、自分で歩けないけど10㎏を超えた子どもを抱えて歩き回ったりするのは大変なので、簡単に「不利な境遇」にはなり得ますが…)
少なくとも「子どもを持つ前の自分」との比較では相対的に「不利」になっていると感じることは多いなと思います。
子連れは「強者である」という認識
さて、子育て世代を経済力のレベルでグループ化し、子がいる人の比率を比較すると、日本は「経済力と結婚・出産の関連が最も強い社会」だそうです。
さらに、日本の低所得の中年男性の子がいる比率は32.7%と飛び抜けて低い。これは、2つの要因に分けられるだろう。(1)低収入で結婚ができない、(2)子育てにカネがかかるので出産に踏み切れない、というものだ。
(上記記事より引用)
「結婚・出産なんてぜいたくだ」という言葉のインパクト、すごいですね。
そもそも子連れを強者だと思っている人は、現代日本で結婚出産できる人は恵まれた人だ、格差社会の上の方にいる人だ、という前提があるようです。そしてさらに子どもが周囲に迷惑をかけても平気そうにしている、子どもを盾にして傍若無人にふるまっている、ということに怒りを感じているのかなと思います。確かに「非常識な子連れ」というのは存在しますよね。
「そもそも強者のくせに、産前の自分と比較して弱くなったからといって弱者として扱ってもらおうなんて虫が良すぎる」という主旨のご意見も見かけました。
そういう風に思う方もいるんだな、と勉強になりました。
今わたしが思っていること
・日本は「経済力と結婚・出産の関連が最も強い社会」なので、そもそも結婚出産できる人は相対的に「社会的強者」であることが多いようだ
・社会的強者が、出産によって不自由が増えたことを「弱者になった」と表現すると、不愉快な思いをする人もいるようだ
・子連れが強者なのか弱者なのかは文脈によって結論が変わるようだ
・子連れが強者か弱者かとは別の話として、日本が弱者にやさしい社会であってほしい
日本の親は「人に迷惑かけてはいけません」と教えるが、 インドでは「人に迷惑をかけずには生きられないのだから、人のことも許してあげなさい」と教える、という話を聞いたことがあります。(出典および真偽は不明です、すいません)
社会の構成員は若くて健康で経済力のある成人ばかりではありません。自分も含めて誰もが弱者になり得るし、ある面では強者である人も、別の面では弱者なのかもしれません。
弱者にやさしい社会であってほしいし、本当の意味で弱者にやさしい社会であれば、弱者は社会的弱者ではなくなる(cf. メガネの例)のかな…と思っています。
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