おたまの日記

都内で働く二児の母(東大法学部卒)が、子育てしながら考えたことや読んだ本、お勧めしたいことを書いてます。

コロナ禍で考えたこと。高齢者の命と子どもの命は比べて良いのか?産まれるはずだった子どもの命は?

緊急事態宣言がついに全国で解除されましたね。

今後、経済自粛や休校休園や公園の遊具閉鎖に効果があったのか、効果があったとして「次の新型感染症発生時に同じように自粛・休園・休校をして良いのか」の検証がされてほしいです。

 

このブログ記事は長らく下書きフォルダに眠っていました。コロナ禍のまっただなかでは公開しないでおこうと控えていたのですが、緊急事態宣言の解除をうけて、公開してみます。

5000字の長文ブログなのでお時間のあるときにお読みください。

 

目次

 

人工呼吸器が不足した欧州で「高齢者に人工呼吸器をつけられない」事態に

スペインの首都マドリードに住むオスカル・アロさん(47)は先月20日、感染がわかった父親ベニートさん(80)の入院先の医師から電話で告げられた。「死なせることを許してほしい。75歳以上の高齢者は治療できない。人工呼吸器はつけられない。若い患者に回さないといけないから」。

涙声だった。病院は重症者であふれ、救うべき命の選別が始まっていた。

(4月5日朝日新聞記事より引用)

 

スペインだけでなく、例えばイタリアでは80歳以上の高齢者に対する治療を断念するという報道もありました(参照)。

幸運にも日本ではこのような事態にはなっていませんが、もし日本も同じ状況になり、私自身が、もしくは私の親や祖父母が「治療を断念される年齢」だったら、どんな気持ちになるだろう…と想像しました。

 

一方で、米国ニューヨーク州の「人工呼吸器割り当てガイドライン」には下記のようにあります。「高齢」であることを理由に人工呼吸療法を受けられるかどうかを決めない、ということですね。

人工呼吸器療法では、生存の可能性が最も高い患者が優先される。人種、民族、性的指向、社会経済的地位、高齢、主観的な生活の質、支払い能力、地域社会での役割、または他の主観的基準などは、人工呼吸療法を受ける人を決定する際の評価項目とはならない。

(4月21日JBpress記事より引用)

 

絶対の正解はない問題だと思いますが、私の母親(66歳)に「仮に人工呼吸器がひとつしかないときに、自分の命を諦めて、知らない子どもに人工呼吸器を譲れるか」と聞いたところ、「そのときになってみないとわからないけど、人は何歳になってももっと生きていたいと思うはずで、それを患者本人に決めさせるのは酷だと思う」と言われました。

また、娘の立場からすると見知らぬ子どもよりも自分の母親に生きていてほしいと思ってしまうような気もします。

では母の年齢が80歳だったら?100歳だったら?諦められるんだろうか。

100歳の高齢者の命と20歳の若者の命を比べて良いのか?80歳と40歳なら?65歳と64歳なら?

 

年齢だけではありません。

31歳の私と、31歳の医療従事者とが同時に人工呼吸器を必要としたときに、私よりも医療従事者を優先して助けたほうが、その後救われる命が多い…みたいな可能性もありそうです。

でもこの考えを追求していくと、「社会に役立つ人を優先して救え」という考えになっていき、弱者や障碍者を見捨てる考えにつながりそうなので、かなり怖いです。

 

コロナ自粛により失われるもの

さて、命の選別は人工呼吸器には限りません。

コロナ自粛で経済的に苦しい立場におかれ、命を絶ってしまった方もいます(例:毎日新聞記事)。オーストラリアでは、コロナ禍により自殺者が2020年は例年より最大5割増えるという予測がなされているとのこと(参照)。

また、コロナ虐待の増加は全世界で懸念されていますし、たとえ虐待死にいたらなくても、子どもたちの心身の健康がコロナ自粛と休園・休校によって脅かされているのではないかと思います。

個人的には、新型コロナウイルスが未知のウイルスでどの程度のリスクがあるのかまったくわからなかった初期には様々な活動の自粛も休園休校も合理的な対応だったのかもしれませんが、自粛の長期化により失われるものとの比較衡量がちゃんとなされているのか疑問を感じています。子どもの教育がおろそかにされることで、将来的にも社会全体で大きな不利益が生じるのではないかとも思います。※休校による逸失生涯所得、平均的な学力の低下、学力格差の拡大等については中室牧子先生の資料が分かりやすいです

例えば今後、新型コロナウイルスのような新たな感染症が世界中で蔓延したときに、同じような対応をとって良いのだろうか?感染症で亡くなる100人を助けるために自殺者が100人出るとしたら? ※もちろん経済的な支援など、自殺者が出ない対策は必要だと思います。また、新たな感染症が発生したときに「自粛しなければ〇人が亡くなる」と推測するのは非常に難しいだろうとも思います

例えば「日本全国で子どもが教育を受けられなくなる」ことにつりあう命の数は、いったい何人なのか? ※もちろんオンライン教育は別途進めるべきだと思います

例えばコロナ感染拡大を防ぐために乳幼児健診を3ヶ月延期した場合に、得られるメリット(コロナ感染拡大防止)とデメリット(子どもの病気・障害を早期発見できなくなる)をどうやって比べれば良いのか? ※コロナ禍で集団乳幼児健診が中止・延期になっている自治体が多いようですが、乳幼児の健診は数ヶ月の遅れが取り返しのつかない損失につながる、と危機感を表明している小児科医の先生もいます(参照)。

 

ちなみに、学校や保育施設の閉鎖によってCOVID-19死亡者はむしろ増加するという指摘もあります。

・学校や保育施設の閉鎖は流行阻止効果に乏しく、逆にCOVID-19死亡率を高める可能性が推定されている。


・教育・保育・療育・医療福祉施設等の閉鎖が子どもの心身を脅かしており、小児に関してはCOVID-19関連健康被害の方が問題と思われる。

日本医師会 COVID-19有識者会議「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」より引用)

COVID-19患者の中で小児が占める割合は少なく、学校や保育園におけるクラスターはないか、あるとしても極めて稀とのこと。そして学校等の閉鎖によって医療従事者も子どもの世話のために仕事を休まざるを得なくなることから、医療資源の損失によりCOVID-19死亡数が増加するという指摘です。

また、「学校閉鎖は、単に子ども達の教育の機会を奪うだけではなく、屋外活動や社会的交流が減少することとも相まって、子どもを抑うつ傾向に陥らせている」との指摘もとても重要だと思います。

 

産まれるはずだった子どもたち

日本では夫婦の6組に1組が不妊に悩んでいる(参照)と言われます。

ESHRE(ヨーロッパ生殖医学会)が新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、不妊治療を中断する声明を出しています(参照)。日本生殖医学会からも不妊治療の延期を推奨する声明が4月1日に出ました(参照)。

主要保健機関および不妊治療専門家から、できる限り妊娠を避け、不妊治療を中断することを求める勧告が今回初めて出されました。この勧告に伴い、子供を持つことを強く望みながら治療を変更または中止されている方々が困難な状況に置かれると考えられます。

(ICMART の声明文の和訳、日本生殖学会声明の参考資料より引用)

その後、日本生殖医学会から5月18日には感染リスク等に配慮したうえで不妊治療の再開を考慮してください、との声明が出ています(参照)。

 

不要不急の不妊治療など無いと思っています。年に約12回しか妊娠のチャンスはないのに、そのうちの2回か3回か、あるいはそれ以上をコロナのせいで奪われるなんて、当事者の方々の気持ちを想像するとかなりきついです。

不妊治療延期推奨の理由は、妊婦や胎児へのCOVID-19の影響がまだ分からないことや、受診や医療行為に関連した感染の新たな発生の危惧とのこと。これらの理由は理解できます。

でも、私個人としては、もしコロナ禍が長期化したり、今後新たな感染症が発生したりして外出の機会や医療装備(マスクや防護服)を社会全体で融通しあわなければいけなくなるとしたら、不妊治療中の方々を何かしらの形で優先してあげるべきではないかと思っています。これは私の感情的なものなのでうまく論理的に説明できないのですが、強いて言うならタイムリミットがあるから…という感じです。私個人の外出機会を、不妊治療中の人のために譲りたい、という気持ちです。

 

命の選別を考えるときに、産まれるはずだった子どもたちのことはあまり議論に上がりませんが、私はつい考えてしまいます。

 

不妊治療中の夫婦だけでなく、コロナ自粛で経済的にダメージを受けて子どもをもつことを諦めた夫婦、2人目・3人目を諦めた夫婦もいるだろうと思います。自宅保育と在宅勤務で悲鳴を上げる共働き家庭をみて、「子どもをもつのはやめよう」と思った人もいるかもしれません。もっといえば、コロナ自粛で結婚式を延期した友人もいますし、そもそもコロナ自粛で出会いがなくなった人もいるだろうと思うので、様々な観点から、コロナ自粛によって「産まれるはずだった子どもたち」が産まれなくなっているんだろうな…と想像しています。

たぶんどうにかすると「産まれるはずだった子どもたち」の数は計算できるだろうと思いますが、この数がコロナ感染拡大で亡くなる可能性のあった人数を上回るとしたら、私たちは間違った選択をしているのではないか?と思ったりします。いやもちろん人の命はひとりひとり大切なので単純に数で比較してはいけないと思いますし、まだ産まれていない子どもよりもいま生きている人を大切にすべきという判断もあると思いますが。

子どもは未来だ、と言うじゃないですか。

 

 

ちなみにこれは蛇足ですが、コロナによって妊娠が増えているところもあるそうです。

コロナによる「ベビーブーム」が懸念されているところもあります

インドネシアでは、「新型コロナウイルス対策の外出制限の影響で避妊や中絶手段へのアクセスが妨げられ、予定していなかった妊娠に至っている女性が40万人超に上る可能性があり、ベビーブームに直面しそう」とのこと。出産急増による子どもの発育障害悪化や母体と乳児の死亡率上昇が懸念されているそうです。

新型コロナでベビーブーム、インドネシアで予定外妊娠40万人超か 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News

日本でも中高生の望まぬ妊娠が増加しているとの報道がありました。

中高生の望まぬ妊娠、コロナ休校で懸念 相談が過去最多 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 

もし全世界で不妊治療の延期や「子どもが欲しかったけどコロナ禍であきらめざるを得なくなった」ことによる出生数の減少がおこり、一方でインドネシアのように「予定していなかった妊娠」や日本の中高生のような「望まぬ妊娠」による出生数の増加がおこったとして、たとえその数が釣り合ったとしても、「プラスマイナスゼロになって良かったね」などと言えるような話ではないだろう、と思います。

 

すいません、結論はありません

結論のないブログにお付き合いいただき恐縮です。子どもの寝かしつけ中に寝たふりをしながら頭の中で考えていたことを、とりあえず文字にしてみました。

私は、人工呼吸器の数が足りないときに「誰をどうやって優先するのか」という話と同じくらい、感染症拡大を防ぐために経済の自粛や学校・保育園の閉鎖が必要になった時に「誰をどうやって優先するのか」は考えておかないといけないテーマだと感じています。そして、その「優先」されるべき属性のひとつに、不妊治療中の人を含めるべきではないか、とも感じています。

考えたことを書いたら5000字を超えてしまいました。長文駄文ですいません。

こういうことを平時に考えておかないと、次の有事にあたって「私たちは社会として何を/誰を優先するのか」の議論ができないと思うんですよね。

 

なお、私は普段ブログを書く際にはなるべく1次情報や信頼できる機関による情報を出典とするように心がけているのですが、本ブログ記事については人の解説記事や小児科医の先生のTweetなどをそのまま出典にしているところがあります。私が参照したものはすべてリンクを貼っていますので、関心ある方は是非リンク先の記事等もお読みいただければと存じます。

 

【2020年10月21日追記】

 「来年の出生数、大幅減少へ」のニュースが出ました。

今年の3~5月の妊娠減少ということは、出生数が減るのは11~2月になります。
記事では「来年の出生数、大幅減少へ」と書かれていますが、まずは今年度の出生数が減るということですね。

今年度に出産した人はマスク着用分娩や産後うつ発症率増加など辛いことが多かったと思いますが、産まれた子にとっては今後受験などの競争が少ない有利さもあるのかもしれません。

 

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