おたまの日記

都内で働く二児の母(東大法学部卒)が、子育てしながら考えたことや読んだ本、お勧めしたいことを書いてます。

選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子

河合香織著『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』を読みました。

 

その女性は、出生前診断をうけて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。
函館で医者と医院を提訴した彼女に会わなければならない。
裁判の過程で見えてきたのは、そもそも現在の母体保護法では、障害を理由にした中絶は認められていないことだった。
ダウン症の子と共に生きる家族、ダウン症でありながら大学に行った女性、家族に委ねられた選別に苦しむ助産師。
多くの当事者の声に耳を傾けながら選ぶことの是非を考える。

(『選べなかった命』Amazon内容紹介より引用)

 

辛くて辛くて、読み終える頃には泣きすぎて頭痛がするような本でしたが、著者である河合香織さんに、この本を書いてくれてありがとうございます…と言いたくなるくらい素晴らしい内容でした。ノンフィクション作家って、すごい仕事だなと思います。

 

自分の考えの不足に気づかされた

私は、以前ブログにも書いた通り(子どもをもつことのリスク - おたまの日記)、夫と話し合って「たとえ障害をもっていても育てたい」という結論になったので、2度の妊娠期間とも、いわゆる出生前診断はしませんでした。

しかし、この本を読んでいると、自分はあまりにも不十分な知識でそうした結論にいたっていたのだな、と気づかされました。結局、私たち夫婦がまだ若く、ダウン症などの可能性がとても低かったから、あまり悩まずに済んだだけだったのかもしれません。

そんな重い決断にもかかわらず、我が子の命の選択に与えられた時間は驚くほど短い。その立場になってから考えるのでは遅いのだ。「どんな子でも産めるだろう」とか「障害児は絶対に産めない」と漠然と思っていることは、いざその立場になると足元から崩れることも多い。

(『選べなかった命』p235より引用)

 

日本の法律の不備

私は不勉強なことに、日本では基本的に中絶は違法(堕胎罪)であり、出生前診断で胎児に深刻な障害があることが分かった際は母体保護法の「経済的理由」を理由とした中絶が行われている、ということを知りませんでした。日本の法律には「胎児の異常による中絶」という文言が無いのです。しかし実態として、出生前診断で例えばダウン症が判明した場合、9割の妊婦が中絶を選択しているとのこと。

そして、国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)から「深刻な胎児の障害を理由とする中絶を合法化するよう」勧告が出ていたことを初めて知りました。「障害があっても子どもを産まなければならないことを強制されるのは、女性の自己決定権を阻害する」そうです。(p167参照)

ちなみに、日本の出生前診断は保険適用がなく自費ですが、イギリスでは2004年から母体血清マーカー検査が全妊婦に無料で提供されているとのこと。(p202参照)

 

画期的な判決

この本の主人公である「光さん」は、妊娠中に出生前診断をうけ、胎児にダウン症があることが判明していたのに、医師がその結果を見落とすという信じられないミスによりダウン症であることを知らされることなく出産にいたり、そして生後3ヶ月で壮絶な苦しみの末にお子さんを亡くしました。この経緯は本の前半に非常に詳しく書いてあります。

そして誤診した医師と医院を提訴し、2014年6月に函館地方裁判所で画期的な判決が出ます。

つまり、裁判所は羊水検査の結果によってダウン症だとわかれば産むか産まないかを妊婦が決定し心の準備をすることは、守るべき利益だと判断したのだ。判決の意外性に、傍聴席は大きな波に呑み込まれたかのように空気が揺れた。これまで日本の裁判所において、出生前診断についてここまで踏み込んだ司法判断がなされたことはなかった。

(『選べなかった命』p173より引用)

 

この本は、すごい

光さんの経験や裁判の話を丁寧に描くにとどまらず、光さんが障害者団体から受けた批判や、ダウン症の子を産んだ女性から光さんへの「ずるい」という言葉、無脳症と分かっていても中絶せずにあえて出産した女性の話、障害を持って生まれた子に家族の意向で何も治療をできず死を見守るしかない現場の助産師の疲弊、優生保護法下の強制不妊と国家賠償訴訟、ダウン症当事者の声など、「命を選ぶ」というテーマに関する幅広い取材と考察が詰め込まれています。

そして、これほどセンシティブな話題を取り扱っているにも関わらず、著者は誰のことも断罪せず、真剣に向き合って声を集めてきたんだな、と思わされます。

この本は、すごい本です。是非読んでほしいです。

 

出生前診断ではダウン症の重篤さはわからない

ダウン症は知的障害を持つ場合が多いそうですが、どの程度の重篤さで産まれてくるかは出生前診断ではわかりません。この本のp219からは、知的な障害も身体的な障害もなく、ダウン症当事者として日本で初めて大学を卒業した方の話が書かれています。

もし自分が妊娠中に出生前診断を受けて胎児がダウン症だと告げられても、「いざ産んでみたら、なんの障害もなく幸せに生きられる子なのかもしれない」と思ったら中絶をためらうだろうな…と思いました。一方で、いざ産んでみたら重い知的な障害や身体的な障害があった場合には、自分の決断を後悔するのだろうか。想像しようとしてみましたが、うまく想像できませんでした。

なお、出生前診断の対象はダウン症だけではないのですが、「なぜ、ダウン症がここまで標的になるのか?」の答えは、ダウン症当事者が「しっかりと何十年かの人生を生きるから」ではないかと書かれています。(p201、日本ダウン症協会・玉井邦夫理事長の話)

主人公の光さんのお子さんのように、ダウン症によって生後3ヶ月で亡くなってしまうのはむしろ珍しいそうです。そして、だからこそ「ずるい」と言われてしまうことがあるのです…。

子どもを生後3ヶ月で亡くした人に「死んだなんてずるい。死んでくれたなんて羨ましい」と言う人がいる、というか、そのような言葉を言うような状況に追い込まれている人がいるということ自体がショックでした。

 

ダウン症当事者の9割が幸せ?

著者の問題意識の幅広さには驚かされることばかりなのですが、よく言われる「ダウン症当事者の9割は幸せ」という話にも、正面から問題提起されています。

2016年に厚生労働省の研究班が行った意識調査によると、ダウン症当事者で「毎日幸せに思うことが多いか」という質問に対して、「はい」「ほとんどそう」と答えた人は約92%に上ったという。この「9割が幸せ」という結果は、ダウン症に関連するシンポジウムなどの集まりでは度々使われてきた。(中略)

しかし、なぜそのように言わなければならないのだろうか。(中略)

言わざるを得ない状況を生み出してきたのは社会なのだ。

(『選べなかった命』p210より引用)

 

「どこで線をひくのか」結論はまだ出ていない

日本ダウン症協会の玉井邦夫理事長の話として、「誰ひとり完全に正常な遺伝子を持っている人はいない」「出生前診断についてどこかで線を引く必要がある」「その線は、もはや合理的な知識で引かれるのではなく、文化という知恵で引かれる部分だと思います。だとすれば、その知恵が多様な子どもたちと生きる知恵として提示されていただきたい」と書かれていたことが心に残りました。

そして、この本『選べなかった命』は、日本社会に「文化という知恵」を醸成する大きな一助になるのだろうな、と感じています。

 

関心のある方には是非読んでいただきたいです。

 

一点だけ、注意

この本は本当に素晴らしい本だと思いますが、かなり「キツイ」描写があります。いま出産を間近に控えている方や新生児を育てている方には、もしかしたらオススメしないほうが良いかもしれません。

光さんが産んだ子、天聖くんが生後直後からダウン症に起因する様々な深刻な疾患に苦しみ、生後3ヶ月で亡くなる描写は、読み進めるのがとても辛かったです。

また、天聖くん以外の話も多く掲載されています。ちょっと具体的に書くのはためらわれるので書きませんが、特にp159、p160の記載については、正直言って読んでしまったことを後悔するほど「キツイ」内容だったと感じています。私にとってはトラウマ級の内容でした。

赤ちゃんの死、というだけで多くの方にとっては辛い話だと思いますが、特にいま出産・新生児育児の当事者である方が読む際は、無理せずにご自分の体調・精神状態が良いときに読まれることをおすすめしたいです。

 

おまけ:この本も読みたくなりました

五木弁護士は以前はバスや電車で大声をあげる知的障碍者を怖いと思っていたというが、『自閉症の僕が跳びはねる理由』という本を読んでから、そのような行動をせざるを得ない理由や思いがわかり、視線が変わった。

(『選べなかった命』p216より引用) 

私も、この本を読んでみようと思います。

 

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