おたまの日記

都内で働く二児の母(東大法学部卒)が、子育てしながら考えたことや読んだ本、お勧めしたいことを書いてます。

「母は私に絶対に興味がある」という信頼について

子どものときは、怒りを感じると、たいてい母に聞いてもらった。

(ミシェル・オバマ著『マイ・ストーリー』p37)

 

わかる…!私も学校や通学路で嫌なことがあると、帰宅してすぐに「ちょっとお母さん、聞いてよ!」と1から10まで全部しゃべっていたな、と思い出しました。

 

子どもの社会性のために親にできること

先日、子持ちの友人女性たちと「子どもに社会性を身につけさせるには何が大事かな」という話をしました。

親としては、我が子には「勉強だけできる子」ではなく、友達とも仲良く楽しく過ごしてほしいし、将来的には色々な人とコミュニケーションをとって楽しく仕事をしてほしいと思うわけです。

もちろん保育園や学校など家の外での人間関係が非常に重要なんだろうと思うのですが、では親にできることはいったい何だろう、と。

 

色々話した結果、私はなんとなく下記のような仮説をもつにいたりました。

家が安心できる居場所であること

友達とケンカしても、家に帰れば安心できる、という環境を提供してあげたいです。家が安心できる場所でないと、学校のコミュニティが唯一のものになってしまい、友達のいうことに逆らえなかったり、言いたいことを言えなくなったりしてしまいそう。

親同士が子どもの前でちゃんと会話をすること

大人同士の会話を聞く重要性は以前ブログにも書きました(AIに負けない子どもを育てる - おたまの日記)。大人同士の会話から子どもが学ぶことは多いんだろうと思います。どんな言い方をしたら相手を不愉快にさせないか、とか、ちゃんとありがとうを言うとか、体調が悪そうなら「大丈夫?」と声をかけるとか、私が間違えてたわごめんね、と言えるとか。自戒を込めて。

親が職場での出来事を子どもに話したり、子どもが学校での出来事を親に話したりすること

例えば私の母が「今日、Aさんがこんなこと言ったのよ、ひどいでしょう」などと話すことによって、私は「そうか、そういうことを言うと人からひどいと思われるのか」と学んだりしていたと思います。逆に私が「今日学校でこんなことがあって」と母に話すと、母は「まあ可哀そうに」とか「それはあなたが悪いんじゃない?」とかいろんなコメントをくれました。母が見ていない情景を一生懸命説明することによって「人に伝わる話し方」の練習になったり、友人との出来事を少し違った視点から考え直すことができたので、これは良かったなと思います。

 

そして友人とお互いの幼少期の頃の話をしながら気づいたことがあります。

私は、「母は私に関することであれば何であれ絶対に興味がある」という強い信頼感を持っていたのだな、ということです。

 

「母は私に絶対に興味がある」という信頼感

私が通学路で見かけた政治家のポスターの文言であれ、学校の下駄箱の高さの話であれ、授業中に先生がした脱線話であれ、友人とのたわいもない会話であれ、母は「娘に関すること」であれば本当になんにでも興味をもって話を聞いてくれました。(家事をしながら、ご飯を食べながら、などの「ながら会話」であっても、適当に聞き流すのではなくちゃんと聞いてくれていたと思います)

私は長い間このことに気づいていなかったのですが、このたびの友人との会話によって自分が母へこのような信頼感をもっていたことに初めて気づきました。

 

そして、これはすごいことなのではないかと思いました。

 

世界に77億人の人がいて、私に関するあらゆることにこんなに興味をもってくれるのは(少なくとも子どもの頃は)母親だけでした。大人になって結婚した今では、おそらく世界で私に最も関心があるのは夫だと思いますが、今でも母は私のあらゆることに関心を持っていると感じています。

なお、父も父なりに娘にきちんと関心があったと思いますが、仕事で忙しいのもあって、母のように「私に関することであればなんでも面白がって聞いてくれる」とは感じていませんでした。父の場合は、そもそも家にいる時間が短かったのと、私がする話のテーマによって関心の有無が変わっていたと思います。

 

この、父と母の違いというか、私の母に対する信頼感がなぜ醸成されたのかよくよく考えてみました。主に私が小学生~大学生の頃の記憶です。

母から様々な質問を受けた

母は本当に子どもの様子の変化に敏感で、私から何も言わなくても「元気ないね、なにかあった?」などと聞いてくれました。

また、学校から帰宅すると「学校はどうだった?」、本を読んでいると「何の本を読んでるの?」、新しい服を買ってくると「可愛いじゃない、着てみせて!」などと言われるので、そのうち聞かれなくても自分から学校の話や読んでいる本の話をするようになり、買ったものは帰宅後すぐに親に見せるようになりました。

こうした質問って、「私はあなたに興味があります」という強烈なメッセージだと思うんです。

これまでの人生で母から受けた「私に関する質問」の総数を100とすると、父から受けた「私に関する質問」の総数は0.01くらいなのかなと思います。(父を批判する意図はないです…そもそも家にいる時間が短かったし、男女差もあるんだろうと思うので)

母のあいづちがうまい

母は家事をしながらでも、ちゃんとバーバル/ノンバーバルで「聞いているよ」とメッセージを送ってくれました。父はあまりあいづちを打たないので、たまに私が「ちょっとお父さん、聞いてる?」と怒ることもありました。

否定しない

母が私の話に対して「つまらない」「お母さんはそれについて興味がない」等と言ったり態度で示したことがたぶん一度もないです。

一方、父は興味の有無が私の話のテーマによって明らかに変わりました(例:「社会科の授業で先生がこんなことを言っていたんだけど、お父さんどう思う?」だと面白がって色々話してくれますが、「今日〇〇ちゃんがさぁ、…」のような取り留めのない話は明らかに興味が無さそうでした)

 

そして、「母は私に絶対に興味がある」という信頼があったからこそ、私は家で安心して母になんでも話したし、それが私の社会性を高めた面があるのだろうと感じています。ちなみに私の弟も、私ほどなんでもかんでも母に話すことはしませんが、「母は自分に絶対に興味がある」と信じていると思います。

干渉するのではなく、興味・関心をきちんと示す、という母の態度を、私も真似したいです。

 

私も息子たちにきちんと「関心」を示したい

母は長らく専業主婦だったので、母のしてくれたことをまるまる私がマネすることは難しいのですが、今後、私の息子たちが「お母さんは僕に絶対に興味がある」と信じてくれるよう、言葉や態度に気をつけていこうと思います。

今は主に寝かしつけのときに「今日は保育園でなにしたの?」「〇〇くんと遊んだ?」「楽しかった?」などと聞いていますが、質問することによって「お母さんはあなたに興味があるんだよ」というメッセージを伝えたいと思っています。

 

そして世代的なものもあり、私の父よりも夫のほうが育児への関わりは積極的なので、私の頃とは違って息子たちが「お母さんだけでなく、お父さんも僕に絶対に興味がある」と信じてくれる関係性になれると良いなと思っています。

 

うちの両親は…(中略)…面倒だからといって会話をさっさと終わらせようとすることは一度も無かった。兄と私がわからないことを何でも両親に訊いていたこともあって、話し合いはときに何時間も続いた。

(ミシェル・オバマ著『マイ・ストーリー』p42)

私たち夫婦も、将来子どもたちにこんな風に思い出してもらえる両親でありたいな、と思います。

 

 

そしてミシェル・オバマの自伝『マイストーリー』、超面白いのでオススメです!

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