おたまの日記

都内で働く二児の母(東大法学部卒)が、子育てしながら考えたことや読んだ本、お勧めしたいことを書いてます。

人生を意味あるものにできたと信じたい

NHKスペシャル「人体」の再放送を見ました。

www.nhk.jp

2017年~2018年にかけて放送されたシリーズ、私は当時も全部見ていたのですが、今回改めて再視聴したことで、当時はあまり考えなかったことを考えました。

第1シリーズの第3集として放送された「神秘の巨大ネットワーク(3)“骨”が出す!若返り物質」に出てきた方の話です。

 

”人生を意味あるものにできたと信じたい”

「骨が増え続ける」という不思議な病、硬結性骨化症。南アフリカで頻発する遺伝病とのこと。

硬結性骨化症を患うティモシー・ドレイヤーさん(27歳)。2018年の放送当時27歳なので、2025年の今は34歳くらいですかね。

この病気は頭蓋骨がどんどん分厚くなってしまうため脳を圧迫し聴力や視覚に障害を引き起こすとのことで、ドレイヤーさんは聴力をほとんど失ってしまいました。骨量の異常な増加に対応するため4年に一度頭蓋骨を取り外し、増え続ける骨を内側から削る手術を受け続けてきたと。初めての手術は8歳の時で、「本当につらい手術」「二度と経験したくないと毎回祈っています」とドレイヤーさん。

隣で見ていた8歳長男が「8歳だって…」と神妙な顔でつぶやいていました。

我が家の8歳長男がこんな手術を受けることになったら…と想像すると、どれほど怖いだろう、術後の痛みやリハビリはどれほどつらいだろう、と思いました。

 

さて、英国の大手製薬会社スラウ(Slough)では、世界で2億人と言われる骨粗しょう症患者のために、ドレイヤーさんたち硬結性骨化症の患者の遺伝子情報を使って骨の量をコントロールする「スクレロスチン」を人工的に操作する新しい薬を開発していると。

 

残酷だなと思ったのは、骨粗しょう症(=骨の量が減る)の患者は世界で2億人もいるので製薬会社にとっても治療薬の開発メリットが一定見込めるんですよね。でも硬結性骨化症(=骨が増えすぎる)の患者数はそれよりずっと少ない。

骨粗しょう症の治療薬の開発は進められる一方で、硬結性骨化症の薬はまだない。

なんと、ドレイヤーさんは骨粗しょう症の治療薬の開発を進めている製薬会社スラウにインターンとして入社し、硬結性骨化症の治療薬開発への挑戦を始めます。

 

ドレイヤーさんの言葉を聞いていたら涙がでました。

スクレロスチンを人工的につくれば骨の増殖を抑えられるはずです

もちろん僕はもう手遅れです

でももっと若い子どもたちのために治療法を見つけたいのです

スクレロスチンというたった一つの小さな物質が欠けていたことが僕の人生を変えました

科学の限界を押し上げ 骨についてもっと理解したいと思っています

そうすることで僕が耐えてきた手術や苦しみも少しは救われます

人生を意味あるものにできたと信じたいんです

 

たとえ治療薬の開発に成功したとしても自分にはもう「手遅れ」であると。

でも、もし治療薬ができれば同じ病気で耐えがたい手術を受けることになる子どもたちを救うことができる。そうすることで自分の人生を「意味あるもの」にできる。

私と同世代のドレイヤーさんが自分の人生の意味についてここまで明確に定義して実行に移せているのは、その背景にものすごい苦しみがあったのだろうな…と思いました。私は正直まだ自分の人生の意味についてこんな風に明確には語れません。

 

今どうしているのだろうと気になりまして

ドレイヤーさんの名前、おそらくTimothy Dreyerというスペルではないかとあたりをつけて検索してみました。生きていて欲しいな…と思いつつ。

あっというまにご本人のLinkedinだと思われるものを見つけまして、これによると英国の製薬会社スラウでのインターンは2016年から2020年までの4年間だったようです。今はロンドンでポスドクの研究者として骨の研究を続けているようで、つい4週間前にも研究成果を投稿されていました。

NHKの放送から7年経っているので、きっとこの間にも頭蓋骨を取り外して骨を削るつらい手術を一度は受けられたのでしょうね。

 

”生きることなく人生を終えたくない”

話は変わりますが、黒澤明監督の映画『生きる』が英国でリメイクされて『LIVING』という映画になったんですよね。なんと脚本はカズオ・イシグロ。

この映画の中でものすごく印象に残っている台詞があります。

 

夕暮れ時に子どもたちが遊ぶ姿を見たことが?

街角や路地裏で

母親が呼びに来ると

子どもはまだ帰りたくないと駄々をこねる

それが普通なんだ

独りで座ってる子よりずっといい

遊びに加わらず何の感情もなく

母親に呼ばれるのを待ってる子より

 

私もそうなっていないか

それだけは避けたいのだ

生きることなく人生を終えたくない

(2023年映画『LIVING』主人公ウィリアムズのセリフ)

 

ちなみに、無意味な人生を送っている主人公が余命宣告を受けて、子どもたちのために公園をつくる…という大まかなストーリーは日本の原作と同じです。舞台が戦後のロンドンなので細部は全然違いますが。すごく良い映画でした。

1953年。第二次世界大戦後のロンドン。仕事一筋に生きてきた公務員ウィリアムズは、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る。

映画『LIVING』のAmazon紹介文より引用)

 

「まだ帰りたくない」

さて、ドレイヤーさんの言葉をNHKスペシャルで見て、私が思い出したのがこの映画『LIVING』のセリフでした。

もしドレイヤーさんが「骨が増え続ける」硬結性骨化症によって聴力も視力も失い、4年に一度頭蓋骨を取り外して削るつらい手術を受ける人生に絶望していたら、「遊びに加わらず何の感情もなく 母親に呼ばれるのを待ってる子」だったのかもしれません。こんなつらい思いを定期的にするくらいなら、いっそ早くお迎えが来てほしいと思ったかもしれません。

でも彼がたとえ自分には手遅れであっても若い患者たちのために硬結性骨化症の治療薬を開発することに人生の意味を見出して行動に移したことで、もっと生きていたい、もっと長生きしたいと思うようになったとすれば、それが「まだ帰りたくないと駄々をこねる子」のように生きるということなのではないか。

 

私の人生の意味はなんだろう

私はどうなんだろう。

もし今、余命半年ですと言われたら、私の人生の意味はなんだと考えるんだろう。

 

幼い子どもがいるというのはある意味わかりやすい「人生の意味」なんですよね。この子たちに会うために生きてきたんだというか、この子たちが成人するまでは死ねない、というか。お迎えがきたとしても「まだ死ぬわけにはいかない」「せめて子どもたちがもっと大きくなるまでは」と「駄々をこねる」気持ちになるだろうと思います。

では子ども以外で私の人生の意味はなんだろう。子どもたちが独り立ちして私の手を離れて以降、私は生きる意味をなにに見出すんだろう。ドレイヤーさんにとっての治療薬開発、『生きる』の主人公にとっての公園整備のような、人生をかける事業に私は取り組んでいるのだろうか。

いま私が仕事で取り組んでいることは、私の人生の意味になるのだろうか。私の仕事人生が終わるまでに後世のためになるような成果を残せるのだろうか。

 

36歳の現時点では自信をもって「これが私の人生の意味です」と言えるものはないのが正直なところです。

「人生を意味あるものにできたと信じたい」「生きることなく人生を終えたくない」と思います。

 

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