ハリーポッターと同い年な私たち
ハリーポッターシリーズの一冊目、「ハリーポッターと賢者の石」の日本語版が出版されたのが1999年でした。
主人公のハリーは11歳。
1988年生まれの私も、11歳でした。
それから毎年一冊ずつ日本語版が公開されて、出版のたびにハリーはひとつずつ歳をとって、私は「ハリーポッターと同い年」という状態で何年も愛読してきました。
きっと1988年生まれの日本人の多くが、私と同じ読書体験をしているのではないかと思います。あのハリーポッターと同い年なんですよ。
(もちろん本家の英国では数年前に出版されていて、ハリーポッターは1980年生まれという設定なので本当は年上です。同い年なのは日本語の出版年だけ。)
舞台を観にいってきました
そして先日、ついに舞台「ハリーポッターと呪いの子」を観に行くことができました。
ずっと気になっていて、ネタバレしないように細心の注意を払って生活してきたのです。わくわく。
私が観たのは、藤原竜也さんがハリーポッターを演じる回です。
「親になったハリー」を見る私
ハリーは37歳で、3人の子供の父親になっています。
次男のアルバスがホグワーツに入学するところから物語が始まるのですが、有名すぎる「ハリー・ポッター」を父親に持った息子、とっても大変そう。
そしてハリーが本当に「それだけは言っちゃだめ」なことを連発するんですよね…
息子に向かって「お前が息子じゃなかったらいいのに」と言い放った時が一番ひどかった。
あと、マクゴナガル先生に向かって「あなたには子供がいないからわからない」と言った時も。
少年時代に素晴らしい活躍を見せたヒーローだったハリー・ポッターが、1人の父親となって、息子との関係性に頭を抱えて、ダメな父親としてダメな発言を連発して、空回りして苦しみます。
一緒に子供時代を過ごしたハリーが、親としての「人生第二章」でもがく様を見ていると、これは数年後の自分かもしれないな、と感じます。私の息子はまだ6歳と4歳ですが、息子たちが11歳、12歳になる頃には親子関係は今よりも難しくなっているはず。
いかに息子を信じて見守るか、息子の友人を大切にするか。
ハリーは失敗を重ねますが、それでも良い父親であろうと努力することはやめなかった。
数年後に私が息子ととんでもない口論をしたとして、きっとこの舞台を思い出すだろうな、と思います。
そしてハリーの妻のジニーが素晴らしい妻であり母なんですよね…。強いし、許し方を知っている感じ。
あああ、親になるって難しいなあ、自分が人生の主人公であるストーリーの他に、子供の人生の脇役としてのストーリーも同時並行で進めないといけないんだなあ…
舞台としての面白さや美しさ、魔法の演出にびっくりしたりストーリー展開にハラハラしたりしながらも、ずいぶん真面目に「親になること」「親であること」を考えさせられた舞台でした。
これは終演後の舞台。
帰路、会場を出てからもハリーポッターの世界が続いていました。
メールでもらった特別映像。
「子供の心を健全に育てるために何が必要なのか」
終演後にパンフレットを読んでいて初めて知ったのですが、J.K.ローリングは「非営利団体ルーモス」を設立し、世界中の孤児院にいる540万人の子供たちを家庭生活に戻す支援を行なっているそうです。
1歳で両親を失ったハリー・ポッターと、生まれてすぐに両親を失ったヴォルデモートの人生を、「幼年期の大きな逆境と、その後のケア」という観点でとらえたことはありませんでした。
この観点でもう一度、ハリーポッターシリーズを読み直してみたくなってきました。
今度は息子と読み返したい
帰宅してからパンフレットと舞台脚本を眺めていたら6歳長男が興味を示したので少し説明したところ、「ハリーポッターの本を読みたい」とのこと。
お母さんがハリーポッターを読んだのは小学5年生の時だから、まだちょっと難しいかもよ?と言ったのですが、「それでも読んでみたい」とのことなので、今度実家に取りに行こうと思います。
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