「路上を子どもたちに返す」
山口慎太郎先生の「今月の3点」の中に、とても気になるタイトルがありました。
「路上を子どもたちに返す」って、どういうこと…?
■山口慎太郎=経済
▽今井博之「路上を子どもたちに返す」(世界2月号)
<評>自動車の社会的費用には、子どもの遊び場や地域の人々の交流機会の喪失も含まれるという指摘。交通安全は意識改革ではなく、ハンプ(隆起)など物理的な仕掛けの導入で達成するという点にも説得力がある。
気になったので、初めて「世界」という雑誌を購入してみました。
今井博之著「路上を子どもたちに返す」は、この雑誌のp126-133に掲載されています。
関心のある方は是非読んでいただきたいのですが、私には下記の3点が印象的でした。
・子どもの肥満:米国の研究で、「自宅周辺が安全な地域に住んでいる子どもと、そうでない子どもとでは、肥満児の割合が4.4倍も違う」
・子どもの発育・発達:スイスの研究で、「自分の家の前の道路で自由に遊べる子どもと、日本のように道で遊ぶことが禁止されている地域に住んでいる子どもを比較すると、発育・発達に有意な差がある」
・地域の人々の交流・コミュニケーション:モータリゼーションの進展&クルマ優先の生活環境が大人同士の社会的接触の減少をもたらす
- 「路上を子どもたちに返す」
- 子どもが道路で遊ぶことを奨励している地域
- 子どもだけで家の外に遊びに行ける環境
- 大人が同伴しないと外に出られないということ
- 1960年代から現在までの世界の流れ
- 子どもを道路で遊ばせる親への怒り
- 日本では道で遊ぶことが法律で禁止されている?
- 道路交通法の規定
- まとまらないまとめ
子どもが道路で遊ぶことを奨励している地域
欧州の「ボンエルフ」(オランダ語: woonerf )は初めて知りました。クルマを優先せず、歩行者との共存を図った街区とのこと。ボンエルフ内では子どもが道路で遊んだり、住民が道路で休息し語り合うことを奨励しているそうです。
「交通事故の心配なく自宅周辺の道路で遊べる」「親が同伴することなく自らの足で近くの公園までアクセスできる」って素晴らしい子育て環境ですよね。
検索してみたら、オランダのデルフトが有名とのことで、デルフトのボンエルフ写真をたくさん載せているサイトも見つけました。
私、2015年にデルフトに行ったことがあるんですが、美しい街並みだな~と思いながらウロウロ歩き回った記憶はあります。当時「ボンエルフ」という概念を知らなかったことが悔やまれます…。是非再訪したい。
子どもだけで家の外に遊びに行ける環境
思い返してみれば、私自身は「子どもだけで家の外に遊びに行ける環境」で育ちました。
私が幼稚園~小学校低学年の頃に住んでいたのは集合住宅で、家のドアをあけて階段をおりれば花壇や芝生や公園があって、弟と2人で勝手に遊んでいました。
でも今、私は自分の子どもたちを家のドアから親の同伴なしで出すことは怖くてできません。
大人が同伴しないと外に出られないということ
「路上を子どもたちに返す」で紹介されているスイスの研究(チューリヒ・スタディー)を読んで、ちょっとショックでした。
・A群(自宅周辺で外遊びができる子):運動発達・社会性行動・自立などすべての項目で有意に優れていた
・B群(公園などの公共の遊び場でしか遊べない子ども):大人がそばにいて見守っているので、子ども同士のいざこざにすぐ大人が介入。また母子関係の密接度が過剰すぎるという結果も
4~5歳の子どもに「外で勝手に遊んでおいで」と言えない日本の生活環境が、子育てにおけるフラストレーションの大きな一因になっている、という著者の指摘には胸をつかれました。
私の長男は4歳ですが、「外で勝手に遊んでおいで」とはどう考えても言えないです。
1960年代から現在までの世界の流れ
全てに触れることはしませんが、モータリゼーションによる交通事故の急増、交通安全教育の効果は非常にわずかであること、英国における「交通鎮静化」政策、北欧諸国における「歩車分離政策→歩車共存政策」の流れなど、大変興味深く拝読しました。
建築家であり、かつ子どもの遊び場の研究者でもある仙田満氏は、「道はそもそも子どものもの」だと言う。子どもはほとんど道で遊んでいた。その道が子どもの遊び場でなくなったのは1960年代半ばであり、自動車交通が子どもたちの遊び場としての道を奪った。(中略)
(1955年から今日までに子どもの遊べる空間は100分の一に減少した)。
引用:今井博之「路上を子どもたちに返す」(世界2月号)
日本の政策を検索してみたら、国土交通省のまちなかウォーカブル推進事業等は「車中心→人間中心」の流れにあるように思えます。
街路・連立・新交通:街路空間の再構築・利活用に向けた取組 ~居心地が良く歩きたくなる街路づくり~ - 国土交通省
なお、「路上を子どもたちに返す」では触れられていませんでしたが、日本では道路で遊ぶ子供やその親を「道路族」と呼ぶ人たちがいます。怒りを込めた呼称だと認識しています。
子どもを道路で遊ばせる親への怒り
「道路族」という言葉、ご存知でしたでしょうか。「道路族マップ」などの話題で聞いたことのある方がいるかもしれません。少し引用しますね。
道路族マップは道路・駐車場でこどもを遊ばせる愚鈍な親が棲息するエリアの共有を目的に、2016年6月に作られました。
私自身は「道路族」にはあてはまりません(道路や駐車場で自分の子どもを遊ばせることはしていないし、路上での立ち話をすることもありません)。保育園でも道路(特に車道)に子どもだけで出ないよう指導いただいているおかげか、うちの子どもたちはそもそも道路で遊ぶ発想がないと思います。
ただ、「道路族」で検索されると色々見られると思いますが…、道路で子どもを遊ばせる親への(一部の人たちの)攻撃的な言い方に、私は恐怖を感じています。
日本では道で遊ぶことが法律で禁止されている?
「路上を子どもたちに返す」の中に、「道で遊ぶことが法律で禁止されて以来、…」と書かれています(p132)。
この「道で遊ぶことを禁止している法律」についてちょっと検索してみました。おそらく道路交通法第十四条のことかと思います。
道路交通法の規定
・交通のひんぱんな道路で(※どのくらいだと「ひんぱん」なのかは明確に定義されていないようです)
・13歳未満の子どもを遊ばせることは禁止
・6歳未満の子どもだけで歩かせることは禁止
道路交通法 第十四条
3 児童(六歳以上十三歳未満の者をいう。以下同じ。)若しくは幼児(六歳未満の者をいう。以下同じ。)を保護する責任のある者は、交通のひんぱんな道路又は踏切若しくはその附近の道路において、児童若しくは幼児に遊戯をさせ、又は自ら若しくはこれに代わる監護者が付き添わないで幼児を歩行させてはならない。(引用:道路交通法 | e-Gov法令検索)
まとまらないまとめ
「路上を子どもたちに返す」を読んで初めて知ったことはたくさんありました。「外で勝手に遊んでおいで」と言えたらどんなに良いだろうとも思います。
とはいえ、明日から私が自分の子どもたちを自宅前の道路で遊ばせるかというと、そんなことは怖くてできません。車どおりは少ないものの皆無ではないので…。
そして自宅周辺で子どもを自由に遊ばせられる環境に今すぐ引っ越すこともできないですよね。
ただ、今の自分の周辺環境のような「とてもじゃないけど子どもを家の外に子どもだけでは出せない」環境は当たり前ではないこと。「道はそもそも子どものもの」と提唱している研究者もいるということ。車優先でない街づくりが、子どもだけでなく地域住民の交流も促進するということ。
知ることができて良かったなと思いますし、多くの人に知ってほしいなとも思います。
今井博之「路上を子どもたちに返す」(世界2月号)、是非読んでみてください。
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