少し前に、人前でダイバーシティ&インクルージョンについてお話する機会がありました。(仕事ではありません、私は仕事のことはこのブログには書きません)
そのときに話したことのうち、このブログで書けそうなことについて、書き残しておきます。
マジョリティな私
私自身は、
・日本に住む日本人である(=圧倒的マジョリティ)
・健常者である
・異性愛者である
・右利きである
などの意味で、あまり「ダイバーシティ&インクルージョン」の必要性を自分ごととして実感することなく成長しました。
どれも私にとっては「普通のこと」であり「みんなそう」なので、あえて「日本人であること」「健常者であること」「異性愛者であること」「右利きであること」を意識せず日々を送ってきました。
※さらに言えば、両親が2人とも生きていて離婚もしていない、父親が定職についている、私自身は中肉中背の普通体系であり特に食品アレルギーもない、など、自分の「マジョリティ性」「強者性」についてはもっと色々あると思います
共学→女子校へ
小中学校は公立の共学で、高校は女子校に通いました。
小中学校では男女比が半々くらいで、学校の先生も男女ともにいらしたので、あまり「男だから」「女だから」という意識なく過ごしていたと思います。でも後から振り返ってみれば校長先生は全員男性だったな、とか、TVで見る「偉い人」はほぼ「偉いおじさん/おじいさん」だったな、とか、自分の将来のイメージとして「校長先生」「政治家」「経営者」をイメージするのは男子に比べて困難だったかもしれません。
そして高校に入ったときに感じた圧倒的な「居心地の良さ」。
これは周囲が全員女子であることに加えて、入試を経てスクリーニングされたメンバーの中に入るのが初めてだった、ということもあるかもしれません。勉強する意欲と家庭環境をもつ、ある程度の学力がある16歳から18歳の女子しかいない、比較的均質な環境は本当に居心地の良いものでした。もちろん高校のクラスメイトには様々な女子がいるので、その中にいるときには考え方の多様性を感じていたわけですが、社会全体の多様性から比較すれば本当に多くの条件を共通でもっている人だけが集まった均質な空間であったと思います。この居心地の良い環境だからこそ伸ばせた知識や思考もあったと思います。
大学時代
これが大学に入ると状況はかなり変わりました。
東大法学部は私の代は1学年に400人の学生がいましたが、そのうち女子は80人でした。高校時代の女子100%の空間から、一気に性別の観点ではマイノリティになります。ゼミや飲み会の場で「その場に女子は自分一人しかいない」ことも少なくなかったですが、やっぱり居心地は悪いなと思いました。
最近の東大は女子学生を増やそうと様々な取り組みをしているようですが、是非もっと女子学生が増えてほしいと思ってます。
最近の話
少し前に、大きな組織…日本人なら誰でも名前を知っているような大きな組織でかなり偉くなった人たちが、ダイバーシティ&インクルージョンについてお話しされるのを拝聴する機会があったのですが、私がちょっとびっくりしたのは「うちの組織では男だからとか女だからとかいう差別は一切ないですよ」「むしろ女性のほうが優秀なことが多い」「本当に女性は強いですよね」といった会話があったことです。
私が個人的に知っている、同組織で働いている女性は、少数派であることにも起因するいろいろな困難に直面していました。心身にダメージを負って退職した女性もいました。
きっと彼らの目にうつる風景と、彼女たちの目にうつる風景とは、全然違うんだろうな、と思いました。
念のため付記しておきますが、私は彼らを様々な観点で尊敬しているし、男女に関するダイバーシティ&インクルージョン以外のテーマでは彼らから学んだこともとても多かったです。彼らはとても優秀で、良い人たちであると思います。そしてとても優秀な良い人たちでも、自分が多数派である場合に「気づけない」ことがあるんだ、ということが良くわかりました。
きっと私には見えていないものがある
自分が多数派の立場にいるときには決して見えない景色があることを、「日本に住む日本人」であり「健常者」であり「異性愛者」である私は、忘れてはならないと思っています。そして自分が多数派である分類について「日本には差別なんてないですよ」と間違っても口にしてはいけないとも思っています。
きっと私には見えていないものがある。
数年前に「アンコンシャスバイアスに気づくためのテスト」というのを受けたことがあります。(無料)
これについて、余裕があったら次回のブログ記事で紹介しようと思っています。
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