先日、『生理用品の社会史』という本を読んだことで、身近な女性(母世代、祖母世代)がどんな生理用品を使ってきたのか関心を持ちました。
そして、誰とは言いませんが1953年生まれの女性に生理用品について教えてほしいと頼んだところ、思ったよりたくさん教えてもらったので、メモを置いておきます。
※匿名での公開許可をもらっています
前提条件
・1953年東北生まれ、東北育ち
・初経は中学生になってから(1966年頃)
生理教育について
・小学校高学年のとき(1965年頃)に、女子だけが「生理について」先生から教えてもらう授業があった
・授業では、生理の仕組みのほか、「突然始まったときのために、いつもこれを持ち歩くように」と脱脂綿とちり紙を使った生理用品の作り方を教わった
・分厚くて四角い脱脂綿を真ん中で割いて薄くして、あいだにちり紙を挟む。基本的に脱脂綿が血を吸い取ってくれるが、脱脂綿だけだと血が漏れるので、ちり紙を挟むことで漏れを防止していた
・ちり紙というのは、ティッシュよりも分厚い紙。どこの家にもあった
・脱脂綿でちり紙を挟んだら、くるくると巻いて袋にいれて、常に持ち歩くようにした
・余談だが、この脱脂綿とちり紙を巻いたものの印象が強すぎて、今でもロールサンドを見ると思いだしてしまう。そのせいでロールサンドはあまり作りたくない、食べたくない
初経について
・中学生のときに初経を迎えた
・当時は毎朝自宅の廊下をぞうきんがけするのが役割だったが、廊下拭きの途中で「なにかおかしい」と思ったら出血していた
・「かあちゃん、尻から血でた」と母親に言ったら「ほれ、こういうときどうすっか学校で習ったろ」と言われて、脱脂綿とちり紙のことを思い出した
・自作の脱脂綿とちり紙をパンツに入れて登校した
・その晩は赤飯を炊かれた(父親と弟の前で母親が初経の話をしたのがとてもイヤだった)
・学校の同級生たちと生理について話した記憶がない。誰が小学生のうちに初経を迎えて、誰が中学生になってからだったのか、まったく知らない。生理痛も、使っている生理用品についても、そういう話は女子同士でもしなかったと思う
※2020年の今でも生理について話すのは若干の気恥ずかしさを感じますが、1960年代はもっと難しかったのだ…ということが、前述の本(『生理用品の社会史』)を読んでいるとよくわかります。
生理用品について
・股のところがゴムになっているゴム引きパンツというのは見たことがない(私が、「昔はゴム引きパンツという製品があったらしいけど知ってる?」と質問しました)
・最初の頃はまだ経血の量が少なかったし周期も不安定だったし、普通の下着と脱脂綿とちり紙で、漏れて困ったという記憶はない
・1961年にアンネナプキンが発売されたときは、まだ初経を迎えていなかったのであまり感動はなかった
・小学校で生理教育を受けたのは1965年頃だが、授業ではアンネナプキンには触れられなかった
・住んでいた地域でアンネナプキンの実物を見ることもしばらくはなかった
・確か学校の保健室にあるときから自動販売機のようなものが設置されて、アンネナプキンを入手できるようになった
・それでもまだ脱脂綿とちり紙が一般的だった
・家から車で行ける距離の店でアンネナプキンが売られるようになって、父親に頼んで買ってきてもらった(母親は運転できないので、父親に頼むしかなかった。父親がナプキンを買うのが恥ずかしかったかどうかは分からない)
・自宅も近所の家も汲み取り式のボットン便所だったが、糞尿は肥料にするので、ここに脱脂綿やちり紙を捨てるわけにはいかない。トイレの中に専用のごみ箱を置いていたはず
・あるときから肥料にするのをやめてバキュームカーが糞尿を定期的に回収しにくるようになって、そうすると脱脂綿を便所にそのまま捨てても大丈夫かな、という感じになった
・ただ、ボットン便所は糞尿が上から丸見えになる。男女共用なので、経血のついた脱脂綿やちり紙を男性に見られるのはとてもイヤだった
・友人の家に行っても同じ状況だった
・アンネナプキンは長く使ったはず。もうアンネ社が無いとは知らなかった
・最近は布ナプキンというのが流行っているらしいが、信じられない。子どもは布オムツで育てたのでオムツについたオシッコやうんちを手洗いするのは全く平気だったが、布ナプキンについた血を手洗いするのは自分にはムリ
以上です。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
【合わせて読みたい】