田中ひかる著『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』を読みました。
生理用品の歴史を知らなすぎる私たち
実は、2011年の11月11日は、使い捨てナプキンが誕生してから、ちょうど50年目にあたる記念すべき日だった。それにもかかわらず、この日、一切のメディアがこのことに触れなかったことに、私は一抹の寂しさを感じた。なぜなら、生理用品に触れずして、女性の歴史は語れないと思っているからだ。たとえば、使い捨てナプキンが誕生していなければ、高度経済成長期の女性の社会進出はもっと鈍かったであろうし、生理休暇が形骸化した背景には、生理用品の進化があった。これほど重要なモノの歴史について、私たちは知らなすぎるのではないか?そこでまとめたのが本書である。
(『生理用品の社会史』はじめに より引用)
この本、知らないことだらけでした。
本書の冒頭に「今日の日本の有経女性(月経のある女性)はみな、『ナプキン世代』である」と書かれていますが、私が初経を迎えたときには、使い捨て生理用ナプキンが当たり前のように店頭に並んでいました。
使い捨て生理用ナプキンがいつどうやって生まれたのか。ナプキンが生まれる前、女性はどうやって経血を処置していたのか。古代から世界で生理がどのように見られてきたのか。私の祖母が、母が、初経を迎えたとき、そこにはどんな生理用品があったのか。誰からどのように生理のことを教わったのか。生理用品の進化を阻んだ「月経不浄視」とはなんだったのか。女性の社会進出に生理用品がどれほど重要だったか。
考えたこともなかったことばかりです。
この本を読んで良かった、是非女性にも男性にも読んでもらいたい、と思いました。
自分用のメモ
・布や紙が発明される以前は植物の葉や繊維を経血処置につかっていたp3
・江戸~明治~大正時代、日本では紙や綿を「膣に詰める」処置方法が一般的だった(不衛生だった)p4,5
・明治~大正、月経を「国の富強を保つ」ための重要な生理現象とみなし、医学的に管理しようという動きがあった(標準的な初経年齢・月経周期・経血量を示す、月経時の禁止事項:自転車やミシン、長時間の直立・歩行、重い荷物を持つこと、正座など)p8
※ただしこれは上流階級の「体質優秀なる女性」に「生殖能力をおおいに発揮する」ことを求めるためのものであり、働く女性(女工や貧農の娘)は子どもを「粗製濫造」しないことを求められた。母体を選ばず「産めよ殖やせよ」と言われるようになるのは昭和のアジア太平洋戦争期の話。p19
・昭和の戦時体制で政府が「母体の選別」よりも「多産」を重視し、女性に労働と出産を同時に求めるようになり、労働者の「母性保護」を要求する生理休暇獲得運動が始まるp21
・生理用品がなかなか進化しなかった理由は、月経の不浄視、軽視、そして女性の月経回数が現代程多くなかったこと(現代女性が12歳初経~51歳閉経、子どもを2人産んでそれぞれ1年間母乳で育てたとすると生涯月経回数は455回。明治時代の女性は初経が2年遅く、閉経が2年早い。子どもの数を5人として授乳性無月経も考慮すると生涯月経回数は50回程度)p46
・月経禁忌、不浄視は世界各地にある。そもそもタブーという言葉の語源はポリネシア語で月経を意味する「タブ」p55
・経血処置用品は隠すべきもの、月経は「シモのこと」だという認識が、女性たちのもっと快適な処置用品を使いたいという当然の思いを封じ込めていたp89
※メモが長くなりすぎるのでブログでの公開はここまでにします。関心ある方は是非本を読んでください。
「アンネ」について
古い少女漫画や小説を読んでいて、どうも日本では生理のことを「アンネ」と呼んだ時期があるようだな…というのは以前から気付いていました。アンネ社が出したアンネナプキンという画期的な生理用品があったんですね。
・1960年代に使い捨てナプキンの原型となる「アンネナプキン」が発売されるまで、「布製のショーツの股の部分にゴムが貼ってある」黒いゴム引きパンツで脱脂綿を押さえる方法が経血処置法の主流だったp97
・しかし、むれる、かぶれる、漏れる、などの問題があり、相当不快だった(想像しただけで不快です…)
・米国からコーテックスという画期的な生理用ナプキンが輸入されるも、あまり大々的に販売されず。p103
「戦後しばらくたって、観光客が日本を訪れるようになった頃でさえ、外国の生理用品に関する情報はかように皆無だった。生理用品に関する事柄が公の出版物に登場するようなことはあまりなかったし、社会のどの部門も男の独壇場で、生理用品に目を向ける男なんてまずいなかった」
(渡辺圭の言葉、p103)
男性たちにとっては、生理用品のことなど他人事であり、女性たち自身も生理用品について積極的に関わったり発言したりすることは、はしたないと考える向きがあったのだろう。(p103)
こうした状況で、「日本人女性のサイズにあった快適な生理用品があれば」という思いから坂井泰子氏がアンネ社を設立、アンネナプキンを発売するまでの経緯は非常に面白いです。
月経を知ろうとした男性
アンネ社のPR担当になった男性(渡紀彦氏、もと産経新聞社の広告部員)が、女性たちの月経時の苦労を知るために「ゴム引きパンツ」を履いて銀座の並木通りを歩いてみたり、一晩ベッドで寝てみたり(蒸れて気持ち悪くて一睡もできず)、女子トイレに忍び込んで汚物入れから脱脂綿を拾ってきたりします。
渡氏は血まみれの使用済脱脂綿の凄惨さにショックを受け、叫びます。
「こんなに、みじめなことを女はしているんだ!絶対、水洗トイレに流せるものを、われわれは作らなければいかん。技術課の連中をすぐ呼んでくれ」(p115)
そんなわけで、発売当初のアンネナプキンは水洗トイレに流すことが可能なタイプだったそうです。ほえー、知らなかった…。
『アンネの日記』を参考に決めた社名
「アンネ」という社名は、あの有名な『アンネの日記』から来ているそうです。
少女アンネが生理を「面倒くさいし、不愉快だし、鬱陶しいのにもかかわらず、甘美な秘密を持っているような気がします」と書き記していたことに渡氏は驚き、月経を苦痛でなく喜びに…という思いで「アンネ」の名称に決めたそうです。
まぁ私は「喜び」と感じたことはありませんが。
アメリカでコーテックスが発売されてから40年、やっと日本でも生理用ナプキン『アンネナプキン」が発売されます(1961年)。
「40年間お待たせしました!」というデビュー新聞広告は、広告業界の歴史に残るものだったとのこと。
それまでタブー視されてきた性に関する話題、「月経は恥ずかしいものではない」といかに伝えるか、当時の社員たちはかなり言葉を選びながら慎重に行ったそうです。
2020年の今でも生理について話すのは若干の気恥ずかしさを感じますが、1960年代はもっと難しかったのだ…ということが、この本を読んでいるとよくわかります。
この本では、さらにアンネ社なきあとも進化を続けてきた日本の生理ナプキン市場を描き、布ナプキンやタンポン、月経カップなどの生理用品などについても触れられます。かつてフランスに存在したという「レンタルナプキン」制度はなかなか衝撃的でした。(p227)
ナプキンの進化が、女性の社会進出・女性アスリートの活躍の基礎に
あまり意識されないが、経血の漏れやナプキンの厚みに対する周囲の視線を気にせずに済むようになったことで、女性はその可能性を大きく伸ばしてきた。(中略)日本において、このような女性の競技スポーツの発展が実現した背景には、女性が月経期間中にも安心して競技に参加できることを保証するに足りる、良質の生理用品の開発が行われたことも、重要な一因なのではないだろうか。
(p189)
考えたこともありませんでしたが、生理用ナプキン登場前の紙や布をつかった経血処置が今でも一般的だったら、とてもじゃないけど生理中は電車に乗って仕事に行けないな…と思います。
また、(理由が母体の保護であれ、月経不浄視であれ)月経中の女性が月経小屋にこもらなければならない風習が現代も続いていたら…?(日本では地域によっては1970年頃まで月経小屋があったとのこと)
PCでテレワークできる職種なら、女性が月に5日間ほど完全な「在宅勤務」をするようになっていたかもしれません。
ああ、でも学校も毎月休まないといけなくなるから、色々と不利すぎて男性と同じ仕事につくのは難しい世界になるのかな。
そうか…生理用品が進化したおかげで、男子と同じように学校に通えて、男性と同じように毎日仕事に行けるんだな…と思いました。
すべての女性が経血処置に悩まずに済む世界になりますように
世界には今も、不十分な経血処置によって活動を制限されたり、感染症に罹ったりする女性が大勢存在するそうです。
最近では災害時のナプキン不足の恐怖も実体験として味わいました。(私は子どものオムツを代用にしました:下記)
すべての女性が、平時も災害時も、経血処置に悩まずに済む世界になりますように。
この本、私はハードカバーで読みましたが、新しい文庫版もあるようなので関心ある方は是非読んでください。
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