忘れたくないシーンの数々
子育てをしていると、「これは一生覚えておきたい」と思うシーンに何度も出くわします。
1歳次男が初めてトイレでうんちをして、私と夫で褒めすぎたせいで調子に乗った次男が便器の中のうんちをつかもうとしたシーンとか、郵便ポストのあっち側とこっち側で覗きあってゲラゲラ笑っている長男と次男の姿とか、Tシャツをズボンのようにはいて足が抜けなくて転ぶ次男と、次男の真似をしてTシャツを足からはいてみる長男とか。
このときの子どもの一挙手一投足をすべて脳内のビデオカメラで撮影して永久保存したいな…と思います。
でもそんなわけにはいかないので、写真や動画に残せるときは残したり、残せなかったときは文字でどこかに書いておいたりしています。このブログもそのひとつ。
ただ、どうしても記憶は少しずつ薄れていくし、もうよく思い出せない昔の素敵な記憶もたくさんあるんですよね。
素敵な絵本に出会いました
『とんでいった ふうせんは』という絵本を読みました。去年邦訳が出たばかりの新しい絵本です。
色づかいが美しくて、絵が優しくて、そして「思い出は風船だ」という描き方がとても心にしみてくる絵本でした。
人は思い出がつまったカラフルな風船をいくつも持って生きていて、長く生きているほどに風船の数は増えていきます。
主な登場人物は主人公の「ぼく」と「おじいちゃん」。おじいちゃんが風船を見ながら数十年前の幼少期の思い出やおばあちゃんとの結婚式の思い出を語ってくれるのですが、おじいちゃんはあるときから、思い出の風船を次々に手放してしまうのです。
翻訳者の落合恵子さんのあとがきが素敵だったので一部引用します。
もっと早くであっていたら
はじめてこの絵本を手にしたとき、わたしは思いました。「『ぼく』は、あの日のわたしだ」と。わたしの母もまた、本の中の「おじいちゃん」のように、おもいでがつまった風船をつぎつぎと飛ばしてしまったひとりでした。「認知症」とよばれる症状です。
(中略)
人生でたぶん最も深く母とつきあっていたあの日々に、この絵本にであいたかったという思いをこめて。
(『とんでいった ふうせんは』訳者あとがきより引用)
子どもたちに色鮮やかな思い出のつまった風船をたくさん持たせてやりたい。
私自身も素敵な思い出を増やしていきたい。
親や祖父母の「風船」の中身を、彼らが手放してしまう前にもっと聴きたい。
そんなことを思いながら読みました。
この絵本の終わり方がとても良いので、関心ある方は是非読んでみてください。
※これは裏表紙の写真です。本の中身は写真に撮ってはいけないなと思いつつ、裏表紙なら許されるかな…と。
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