おたまの日記

都内で働く二児の母(東大法学部卒)が、子育てしながら考えたことや読んだ本、お勧めしたいことを書いてます。

戦没した船と海員の資料館に家族4人で行った話

前回のブログにて、夫と子連れで神戸デートした話を書きました。

実はこのデートにおいてもっとも心に突き刺さったのが、①神戸港震災メモリアルパーク、そして②戦没した船と海員の資料館でした。

 

神戸港震災メモリアルパーク

①神戸港震災メモリアルパークは、1995年の阪神淡路大震災で被災したメリケン波止場の一部をそのまま保存した場所です。有名なのでご存知の方も多いかと思います。

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戦没した船と海員の資料館

そして、このブログを読む多くの方がご存知なさそうな②戦没した船と海員の資料館について、少し紹介させてください。

公式サイトはこちらです:戦没した船と海員の資料館

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資料館内部はこのような感じ。展示は主に2階にあります。

 

私がもっとも衝撃を受けたこと:誰か竹中さんを知っていますか

資料館内に、こちらの顔写真が展示されています。(写真の撮影は許可いただきました)

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写真は大阪商船の第一大満丸に海軍兵として乗船中、昭和20年1月24日黄海において戦死された竹中さまです。

    享年19才

 

来館者の方で第一大満丸遭難時乗船され、生還されました方もしくは詳しい状況をご存知の方はご面倒ですが、係員までご連絡ください。

竹中様のご遺族が当時の消息をお聞きしたいとのことです。

    戦没した船と海員の資料館

 

私が衝撃を受けたのは下記の点です。

・戦後74年経ってなお、遺族が当時の消息を求めている

・その手伝いを、厚労省でも防衛省でもなく、民間の船乗りの組合が自費でしている

・資料館のスタッフは、元船乗りのおじいさん達がボランティアでしている

 

ボランティアの方に教えてもらったこと

私たち家族に説明してくれた方(仮にAさんとします)は、1945年当時はまだ子供だったので終戦の記憶はうっすらある…その後自分も民間の船乗りになり、引退後にこの資料館でボランティアスタッフをされているとのことでした。

Aさんが、「戦時中は13歳、14歳の子どもが徴用されて、船と一緒に沈んだんですよ」と写真を見せてくれました。

そして上述した竹中さんの写真も。

 

私「この19歳で亡くなった竹中さんの消息ですけど…こうして展示していると、当時の情報が集まるんですか?」

Aさん「 うーん。集まることもありますが、もうなかなか難しいですね。これは10年以上こうして展示しています」

私「そうですよね…。」


きっともう亡くなっているだろう、竹中さんの母親の気持ちを想像すると、つらいなぁ…と思いました。

 

竹中さんの消息を知る人が見つかる可能性はとても低そう

1945年に例えば13歳で竹中さんと一緒に第一大満丸に乗船し、生還した人がいたとして、2019年ではもう87歳です。

戦没した船と海員の資料館がオープンしたのは2000年の8月15日。今までの19年間で見つからなかった情報が、これから先、見つかる可能性はとても低いのではないかと感じました。

でも見つかるとしたら、10年後や20年後ではなく、今年や来年、せめて数年先なのだろうと思います。

 

私にできること

というわけで、無意味かもしれないと思いつつ、とりあえずブログに載せてみることにしました。

私がいま「第一大満丸」でGoogle検索してみても全く何もひっかからないので、もしこの先誰かがお父さんやお祖父さんから「第一大満丸」という単語を聞いたときに、検索してこのブログにたどり着き、そして資料館に連絡してみようと思ってくれると良いな…と思っています。

※資料館には電話でもメールでも連絡可能です:戦没した船と海員の資料館

 

その他、勉強になったこと

日本で唯一の産業別労働組合

・「戦没した船と海員の資料館」を運営する「全日本海員組合」は、「日本の海事関連産業で働く仲間たちでつくる日本で唯一の産業別労働組合」である

→へええ…知らなかった…。船員の組合があることも知らなかったし、この組合が日本で唯一の産業別労働組合であることも知らなかった。 

 

この資料館は、すごい

・「戦没した船と海員の資料館」の資料があまりに充実しているので、厚労省が資料館から資料を提供してもらうこともある

※旧陸海軍から引き継がれた軍人軍属の名簿は厚労省が管理しており、遺族は厚労省に資料請求できます。詳しくは厚労省サイト:

旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等の請求について|厚生労働省

※ただし厚労省には、戦没船と船員名簿など簡単な記録が残るだけで、民間から徴用した船がどれほど戦没したか、正確には分からないそうです。この資料館を初め、民間の人が今も調査を続けているとのこと。参照:

海上交通を守るために-大戦の教訓-(中) 軽視された船団護衛 「商船隊」壊滅、全容いまだ不明 - 産経ニュース

 

→私は、この分野に限らず、霞が関の官僚が何もかも引き受けるのはキャパシティ的に無理だと思っているので、民間の志ある方がこのような資料館等で情報収集を続けているのはとても良いことだと思います。

資料館内には戦没した船(例:昭和17年1月18日に戦没した栄山丸)に乗っていた航海士の子息から提供された資料が「関係者が来館されたときのために」と展示されるなど、遺族同士の情報共有の場にもなっているようでした。

 

使い捨ての船

・「コンクリート油槽船」という、使い捨ての船があった

→船を作る材料が不足したため、代用品として作られたそうです。コンクリートでできており、油を積んで目的地まで曳航(えいこう=引っ張ってもらう)し、到着後は自沈して桟橋の代わりに使われるとのこと。

現在でも広島県呉市安浦町には2隻のコンクリート船が防波堤代わりに残されており、資料館ではその写真も見ることができます。

船を使い捨てるという発想が私には無かったので、当時はそれほどまでに物資(主に鋼材)が不足していたのだな…と思いました。

 

意味を考えさせられた

商船乗りは

日章旗のもとでは

死するとも

軍艦旗のもとでは

死なじ

 

或る機関長の雄叫び

(資料館内の展示品より引用)

民間の船員が戦争に駆り出され、自分の船に軍艦旗が掲げられているのを見てどんな気持ちになったのかな…と考えさせられました。

ちなみに、全日本海員組合は「民間船員を予備自衛官補とすることに断固反対する声明」というのを出してます。

私は「民間船員を予備自衛官補にする」という検討がされていることすら今回初めて知りましたが。

 

まとめ

この資料館、滞在時間は30分ほどでしたが知らなかったことだらけで大変勉強になりました。

もし神戸街歩き中に近くを通りかかったら、是非訪れてみてください。

開館時間は10時~17時、入館無料、スタッフが常駐しているのでお気軽に話しかけてください、とのこと!

 

公式サイト:

戦没した船と海員の資料館

 

入り口の写真

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立派な建物です。