私とピアノ(※たいしたことのない歴史)
私は3歳のときにヤマハのピアノ教室に通い始めました。父親の仕事の都合で何度か引っ越しをしながらもピアノを習い続け、高校受験の頃に「いったんレッスンをお休み」しましたが、結局、高校生活で部活に夢中になったためピアノからはフェードアウトしてしまいました。
3歳から15歳までピアノを習ったわりに、それほど才能もなく努力もしなかったため、たいしたピアノの腕ではありません。
ただ、今でもピアノを弾くのは楽しいなあと思っています。中学生の頃には合唱コンクールのピアノの伴奏を毎年やらせてもらいました。大地讃頌とか、楽しかったなぁ。
この本を読んだらピアノの生演奏を聴きたくてたまらなくなった
恩田陸『蜜蜂と遠雷』を読みました。大変な話題作で、今年の10月に映画も公開されるそうですね。面白くて面白くて、読み始めたら止まらなくなり、一気に読み通してしまいました。
ピアノコンクールが舞台の小説で、具体的な曲名がいくつも出てきます。途中からはスマホで曲を検索し、BGM代わりに流しながら読みました。文明の利器に感謝。
この小説を読んでいたら、ピアノを弾きたい気持ちと、プロの生演奏を聴きに行きたい気持ちがメラメラと湧いてきました。
私のようなレベルの人間がピアノを弾くことについて語るのはたいそう恥ずかしいんですが、たとえば私は合唱コンクールのピアノ伴奏をしているとたまにとても気持ち良くなることがありました。陶酔感とか高揚感とか、自分が楽器の一部になったような気持ちです。これを味わえただけでも、ピアノの練習を頑張って良かったなと思っています。
私のピアノレベルは、楽譜を一生懸命読んで、右手と左手でそれぞれ練習して、次に両手で弾いて、たどたどしい演奏を少しずつ練習でマシなものにしていく、という最弱レベルです。
でも、この小説に出てくる天才たちは、ミスなくスムーズに弾けるのは当たり前で、さらにその先にある音楽の可能性をひたすら追求していくのです。小説の文章で表現される音楽世界の面白いことといったらとんでもないので、興味のある方は是非読んでください。
小さい頃、もし楽譜を完璧に弾けたら、誰が弾いても同じ演奏になるものだと思っていました。でも違うんですよね。不思議だなあ。
ピアノを弾ける生徒が必ずクラスに1人以上いたということ
中学生のとき、学校の先生に言われて今でも忘れられない言葉があります。
「ピアノを習わせてもらえる、家にピアノがあるということは、その家庭にそれだけの余裕があるということ。その余裕がない家庭は多いし、ピアノを弾ける生徒がいることは決して当たり前ではない。幸運にも、今はどの学年にもピアノを弾ける生徒が複数名いるので、年度初めのクラス分けではピアノを弾ける生徒が各クラスにできるだけ均等になるよう配慮している。どうしても人数が足りないときには、音楽の先生が伴奏を担当した年もある。でも、普通の公立中学校で、基本的に毎年生徒自身がピアノ伴奏を担当できるのは、日本がとても豊かな国だということなんですよ」
もう15年以上経つのに、これを言われたときのショックは忘れられません。ピアノのレッスンをちょっと面倒に感じていた自分を恥ずかしく思いました。
もう一冊、ピアノへの愛が高まる小説
宮下奈都の『羊と鋼の森』。こちらも超有名小説ですが、『蜂蜜と遠雷』とは違ってピアノの調律が物語の主軸です。私は調律師という仕事について全く無知な状態で読んだのですが、とても面白かったです。
『蜂蜜と遠雷』の中で、「ピアノは打楽器である」ということが書かれているんですが、まさに「羊=フェルト」が「鋼=ピアノの弦」を打つことで音が出る、シンプルな構造の楽器なんですよね。その調律の世界の奥深さに、この小説で初めて触れました。 これを読むと電子ピアノでは物足りなくなり、グランドピアノを触りたくなります。
とりとめもなくピアノについて思っていることをだらだらと書いてしまいました、すいません!
タイトル通り「ピアノについての雑記」でした。
ピアノを息子たちに習わせるかどうかについて、もうひとつブログ記事を書きました。