『知られざる皇室外交』を読みました。 素晴らしい新書です。未読の方は、是非とも読んでください。
皇室は政治にかかわらないが、疑いなく皇室は日本外交にとって最大の資産である。 日本の首相が何度訪問しても不可能だったことを、天皇が訪れることによって成し得たことは少なくない。(「はじめに」より抜粋)
自分の無知が恥ずかしくなった
私はこれまで、特に皇室について関心が強いわけではなかったので、受け身で各種報道に接していました。天皇陛下は人格的に優れている方なんだな、高齢なのに大変そうだな、と漠然と感じていました。
この本を読み終えた今、自分の無知が恥ずかしくなりました。天皇皇后両陛下が生涯をかけて日本のために行動されてきた結果が現在の日本であり、その恩恵をうけて私はこの平和で豊かな毎日の生活を享受してきたのだ、という衝撃を覚えています。
第二次世界大戦後の欧米訪問
もっとも印象に残ったのは、1953年に当時19歳だった皇太子(現在の天皇陛下)がエリザべス女王の戴冠式に出席するために船で半年かけて欧米14か国を訪問されたときの各エピソードです。第二次世界大戦の記憶の生々しく残る中、「敗戦国の皇太子」としての歴訪は決して易しいものではありませんでした。日本軍の捕虜として過酷な強制労働をさせられた本人やその遺族が各国にいるわけです。皇太子の訪問に反対運動も起こる中、チャーチル英首相のスピーチによって一気に潮目が変わります。チャーチル首相、ありがとう!!!
また、カナダを訪れた際には、列車の駅で日系人たちが皇太子を熱烈歓迎し、極寒の屋外で君が代を4回も歌います。その間、皇太子は身じろぎもせず直立していたそうですが、まだ19歳の青年ですよ。寒いな…、とか、いや1回歌ってくれれば良いよ…とか、思わないんですかね。いや思ったかもしれませんが、きっとそれよりも皇太子の頭の中は、戦時中は収容所に抑留され、戦後は激しい人種差別を受けてきた日系人への思いでいっぱいだったんだろうと思いました。
天皇陛下の人生を初めて想像した
12歳で終戦を迎えた少年が、自分の父親の名のもとに行われた戦争への考察を深め、19歳で実際に各国の戦争被害者や遺族の声に触れ、その生涯をかけて慰霊と対話を続けてきたこと。その人生に、民間に産まれて「米英は敵だ」と教えられて育った皇后が寄り添い、天皇を支えてきたこと(もちろん精神的にも支えますが、皇后が美智子様だからこそ日本外交は大きな実利を得てきています)。1人の人間としてその一生を想像すると、頭がくらくらしてきます。
日本皇室の外交資産としての価値
今年で平成が終わります。
天皇陛下は「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と仰ってますが、私もそう思います(少なくとも日本は戦場にならなかった)。次の元号が何になるかは知りませんが、皇太子ご夫妻が次の世の天皇皇后両陛下になられ、おふたりなりの新たな「皇室外交」を主導されていくことにワクワクしています。
この本で雅子さまについて印象的だったのは、雅子さまへのオランダ王室からのサポートです。オランダのベアトリクス女王の夫君クラウス殿下はもともとドイツ国籍の外交官で、王室入りしたあと、うつ病を患います。外交官の職を失い、「女王の伴侶」でしかなくなったことへの無力感が原因とのこと。オランダ王室は雅子さまに、かつての自分たち家族の体験を重ねたはず、と著者は言います。
日本皇室の外交資産としての価値は、任期のない、各国王室との「家族づきあい」を続けてきたこと。また、万世一系の皇統への各国からの敬意。そして天皇皇后両陛下をはじめとする皇族の方々の人間性によって高められてきたわけです。
ただ、これほどの負担を1人の人間に背負わせて良いのかという疑問もあります。。
オススメです
日本人として、知っておくべきことがたっぷり詰まった本だと思います。是非読んでください。お勧めします。
※ちょっと話がそれますが、これほど天皇皇后両陛下は諸外国で慰霊をされているのに、日本を訪れる外国元首はA級戦犯が合祀されている靖国神社には参拝できないため、慰霊ができません。靖国神社いわく分祀は難しいそうなので、私は千鳥ヶ淵戦没者墓苑を「全戦没者を慰霊する施設」にすべきだと思います。色々と反対意見があるのは承知してます。